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ペス山ポピー 『女(じぶん)の体をゆるすまで』

対談・インタビュー
「やわらかスピリッツ」での連載当時から大きな反響を呼んでいたペス山ポピーさんの    『女(じぶん)の体をゆるすまで』の単行本が、7月31日に上下巻同時発売された。本作は、トランスジェンダー(Xジェンダー/ノンバイナリー)で、幼い頃から自身の性自認に悩んできた著者が、漫画家のアシスタント現場で受けたセクハラ被害に向き合う中で、過去、友人、親と対峙しながら、「女(じぶん)の体をゆるすまで」を描いた、ジェンダー・エッセイコミックだ。ペス山さんが、どんなふうに本作の執筆を進め、今、どんなことを考えているのかを伺った。
 

 


──『女(じぶん)の体をゆるすまで(以下、女の体)』は、トランスジェンダー(Xジェンダー/ノンバイナリー)であるペス山さんが、2013年に漫画家X氏のアシスタント現場で受けたセクハラ被害に向き合うなかで、人生を振り返り、様々な人と対話を重ね、まさに〝女(じぶん)の体をゆるすまで〟を漫画にしたものです。まずはこの漫画を描くに至った経緯を教えていただけますか?



ペス山 この漫画を描くしかない状況に追い込まれた、というのが正しいです。連載を始めたのも全て整理し終えてからではなく、ほぼ被害の対処が始まるのと同時でした。なぜ、被害を受けた7年後だったのかと言えば、#MeToo運動が大きなきっかけとしてあります。3、4年前にSNSでそういう運動が起こったときに「あ、セクハラで怒っている女の人っているんだ」と、愚かにも初めて気づいたんですよ。それまで、女性はセクハラを受けてもあまり気にしていないのかと思っていたんです。実際に性被害を受けている友達も、特別に嫌でつらいという顔をしているわけでもなく、ただ、そういうものとして淡々と受け入れている感じがしたので。けれど、ちゃんと怒って告発する人がいるのだということを知り、同時に自分が受けたことも理解したのが、この漫画を描くに至った一つのきっかけです。それでも、すぐに告発できなかったのは、まだ心の整理がついていなかったから。じゃあ、何が決定打だったかと言えば、前作『実録泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。(以下、ボコ恋)』で付き合っていた男性に、実はモラハラを受けていて。

──2019年10月にWEBで公開された番外編で、モラハラについて描かれていましたね。

ペス山 はい。気に入らないことがあると、無視して機嫌の悪い態度をとることで相手をコントロールしようとする人でした。ただ『ボコ恋』本編では、モラハラについては描けなかったんです。『ボコ恋』が終わった直後ぐらいに担当のチル林さんと出会って、連載のお話いただいたことで状況が変わりました。最初は子供の頃のエッセイなら描けるかもしれないということで準備を始めました。けれど9、10歳の自分も相変わらずジェンダーにまつわることで悩んでいて。その私が11年後にセクハラを受けたという事実がある時点で、ジェンダーを無視して子供時代の漫画を描くことはできなかったんです。どの時代を描いても、全てのエピソードが20歳の時に受けた性被害に収斂されてしまう感じがあって。例えば、ポテトという友人のエピソードを小5の記憶としてだけは描けないんですよ。なんでこんなに最悪なことが起こるんだろうと思っていたことが、10年後にさらなる現実となって襲いかかってきました、というオチもついてしまうから。ポテトと私だけじゃなく、ポテトと私とX氏が、完全に性被害で繋がっている状態で。そうなった時に、やっぱり性被害についてちゃんと描くしかないと思い立ち、X氏との出来事を3話目までのネームとして書いて、チル林さんに持って行ったのが始まりです。

──3話までがX氏との当時の出来事を描いたもので、そこからペス山さんの過去を紐解いていくお話になりますね。当時の出来事の描写はすごく皮膚感覚に迫ってくるような生々しい表現で、読んでいてヒリヒリしました。

ペス山 『女の体』の最初の4話は、特にすごく生々しく描けたと思います。



──本当に。ペス山さんは漫画の中でも、「子供の頃のエッセイなら描けるかもしれない」とおっしゃっていたじゃないですか。でも私としてはポテトの話が非常にショックで。子供の頃のエッセイというのは、例えば大好きな友人バラキさんの話ではなく、ポテトの話を思い浮かべていたんですか?

ペス山 一番最初は、やっぱりバラキさんの話を中心に描こうと思っていました。なぜなら一番分かりやすい〝希望〟のエピソードだから。つまりポテトとの間に起きたような出来事があっても、バラキさんとのエピソードでなんとか漫画的には救いになると思ったんです。でも結局バラキさんとの関係性においても、ただただ自分のジェンダーについて悩んでいたんですよね。ですから子供の頃の話として帰結できないと思ったんです。

──『ボコ恋』も『女の体』も、根元にある問題はペス山さんが女性の体に生まれてきたこと対する違和感、つまりジェンダーにまつわることだと思います。『ボコ恋』の時は根本的な解決には至りませんでしたが、今回はペス山さんがX氏に伝えたいことを伝え、トラウマの治療なども経て、最後は周りにも本音で向き合えるようになるなど、一歩先に進んだように見えました。

ペス山 その通りだと思います。『ボコ恋』は、漫画としては面白く描けたと思っていて。例えばホテル入ってから殴られるシーンなんかもすごく気に入っていて、あの時のあのテンションじゃないと描けなかったな、よくやったぞとは思うんですよ。けれどその一方で、自分はどうありたいのか、という視点が完全に抜け落ちてもいたなって。そもそも自分の命の危険も顧みず、とにかく欲望を成就させようという精神でやっていたことを描いた漫画ですし。その結果、すごく好きになった人と付き合ったのに差別を受けて、本当にびっくりしたんですよね。女性のフリをして男性と付き合うことが初めてだったので、そうすれば男性はそれなりに優しくしてくれるだろうと思っていたんですよ。それがものすごく亭主関白みたいな感じで、21歳の男の子がこんな感じなの? と驚いて。でも、そうか、と納得する部分もあったんです。だって10代の頃に周りにいた男の子たちだって、ものすごく性差別的な発言を普通にしていたから。じゃあ、そういうものに晒されてきた自分の人生ってどうなんだろうと思った時に、エッセイ漫画家としては自分に原因があって、それを対処したことで解決できた、という流れのほうが読み手に好かれるのは分かっていて。けれど、どう考えても社会問題だし、X氏が悪いと思って。

──おっしゃる通りです。

ペス山 たぶん『ボコ恋』の時の私だったら、私の対応が悪かったからX氏を助長させてしまった、という描き方をしてしまったと思うんです。でも、『女の体』では自罰的にならなかったことが、すごく成長した部分だと思います。描くたびに自分が変わっていくような感覚でした。

──高校時代に、友人のゼラチンさんに対して「もう少しブスだったら性被害を受けなくて済んだのに」という旨の発言をしてしまったことに対して、後に美人かどうかと性被害を受けることは関係ない、と謝罪している描写がありましたよね。ペス山さんの中でも自罰的になるほど、翻って性被害を受けている別の人のことも傷つけてしまう、という気づきはあったんでしょうね。

ペス山 その通りですね。自罰的な振る舞いがまるで良いこと、美しいことみたいに捉えられてしまうのは、日本の悪しき慎ましさだと感じます。強い言い方をするなら、そんなものはクソ食らえと思う。もちろん反省したり償ったりは必要ですけど、責任の所在なんていろんな所にあるのに、自分を罰することだけで収めるのは、逆に思考停止なんじゃないかと思うようになりました。

──そういう意味でも、『女の体』を読んで救われる人はたくさんいると思います。

ペス山 良かったです。



──『ボコ恋』の時は、ペス山さんのサービス精神もあると思うのですが、読み味としては道化ておちゃらけた印象がありました。けれど『女の体』では、真っ直ぐにご自身の抱える問題に向き合っている気がして。道化的な振る舞いって、おそらく傷つかないための予防線でもあると思うのですが、そういう描き方をしなくなったのは、ペス山さんの中で伝えたいことが変わったからですか?

ペス山 『ボコ恋』がギャグテンションなのは、暴力が嫌いなのに暴力に興奮する、自分の性嗜好を追い求める体験を描いた、あまりに倫理に反する感じの作品だったから、というのが一つの理由としてあります。テーマがテーマなので笑えるようにするしかなくて。もう一つは、何より自分がマイノリティであるという負い目が私にはずっとあったからです。トランスでADHDで、基本的に申し訳ないけどここに居させてもらっています、という感覚で生きてきたので。だから、笑ってもらって危険じゃないということを知ってもらおうと。逆に言えば、そうしないと危ない目に遭うみたいな、防衛本能的な感覚が正直なところありました。だからおちゃらけは、鎧であり武器であり枷であるという感じです。でも自分の存在をなんでこんなに申し訳なく思わなきゃいけないんだろうと思った瞬間から、もう、いいやって思ったんですよ。

──全然それでいいと思います。時系列的には、X氏にSkypeで突撃する直前くらいに『ボコ恋』の番外編を描いていますよね。

ペス山 完全にタイムリーですよね。その頃に一気にいろんなものと向き合ったというか。

──その後もペス山さんは二回に渡って、X氏と長いやりとりをされていて。

ペス山 そうですね、自分の心がどんな傷を負ったのか、ということももちろん知りたかったけれど、相手のこともできる限り知っておきたかったんです。だから、もう行くしかない、ちゃんと相手に対して怒るという手順を踏まないと、と思って。でも実際にやりとり取りをしたことで、本当に普通のおじさんだったんだなと分かって。

──まさに「凡庸な悪」というエピソードタイトルがしっくりきました。『女の体』を描くにあたって、幼少期の記憶を辿る作業になったと思うんですけど、やっぱりポテトのエピソードが本当にしんどくて。子供時代のペス山さんが、ポテトと友達でいるために、性被害を受けながらも一所懸命道化に徹するのが、あまりにつらかったです。

ペス山 私も、あの瞬間の記憶というのは、世界が音を立てて崩れるような感覚でした。ああ、もう黒いランドセルの友達はできないんだなって。

──あのポテトの家からの帰り道、夕焼けのシーンは大変素晴らしかったです。余計に切なさを掻き立てられるというか。

ペス山 本当に夕焼けでしたしね。

──描写で印象的だったシーンと言えば、バラキさんと廊下を駆け出してくシーンも、本当にキラキラした思い出なんだということが伝わってきました。



ペス山 バラキさんは唯一の救いだったので。小4でクラスは分かれてしまったんですけど、それでもずーっと思い続けている感じでしたね。実は漫画からはごっそり省いているんですけど、小4で凄まじい先生が担任になってしまったんですよ。まず一学期が始まってすぐに、「私は目が大きくて出目金と言われていじめられたので、このクラスではそういう思いをする人が出ないように、呼び方を統一します」と、片っ端からあだ名を決めていき、それ以外で呼ぶと怒られたんです。

──えーっ。先生がそんなことをしていたんですか?

ペス山 そうなんです。それまではバラキさんに〝ペス山〟と呼ばれるのがすごく嬉しかったんですよ。ジェンダーが関係ないというか、ちょっとマスキュリンな感じがして。だから「ペス山がいいです」と言ったら、苗字の呼び捨ては冷たい感じがするからダメだと言われて。苗字と名前のミックスみたいなあだ名を付けられたのが、すごく嫌でした。しかも私はADHDだから忘れ物も多く、コミュニケーションも苦手なので友達もできにくかったんですけど、一人でポツンといると、帰りの会で「このクラスには友達がいない子がいます。挙手してください」と言われて。

──えーっ!!?

ペス山 私に友達がいないのは周知の事実だったので、手を挙げざるを得なくて。そこで立たされて、「この子には友達がいません、仲良くしてあげてください」みたいなことが日々ありましたね。そんなふうに檻の中の猿みたいに見せ物にされる経験が『ボコ恋』のおちゃらけた感じにも繋がっているんだと思います。そういうことがあったから余計にバラキさんに対する愛情も……愛情というか執着も、ものすごかったです。
──そのバラキさんが中学生くらいまでは大きな存在で、高校に入ってからはゼラチンさんの存在が大きくなっていきますよね。一話でチル林さんと対面したペス山さんは、高校の友達に似ていると言っていましたが、ゼラチンさんのことかなと思いました。

ペス山 雰囲気はちょっと似ていると思いました。でも関わってくうちに全然違うと分かりましたね。ゼラチンのほうが、もっと低温の生物という感じです。

──低温だけど常にドラマチックですよね。久々にペス山さんと再会した時に二人の思い出の映画『ひなぎく』にちなんで、ひなぎくの花を用意していたり。

ペス山 そうですね。そういうことはすごくしてくれて。高校の誕生日プレゼントでも、それまで二人で撮った写真をアルバムにしてくれたり。それから蟻の観察キットをくれたこともありました。あなたにはこれがいいと思って、って。ゼラチンは謎の女でしたね。

──ゼラチンさんとは、バラキさんとはまた違った青春の時間があったのかなって。

ペス山 高校時代はゼラチンとの時間だけ楽しかった。私は高校の頃の友達をゼラチンと先輩二人以外、全部連絡帳から消してしまっているんです。正直、高校の時が一番苦しかったので。それにゼラチンとの思い出も、ゼラチン自身が性被害を受け続けていたり、私自身がそれに対してセカンドレイプ的な発言をしてしまうなど、ジェンダーと性の問題、迫りくる社会というものを実感せざるを得ない青春でもありました。実は『女の体』で描き逃したと思っていることがあって、私は高校を機に、LGBTQ以外の友達とはもう付き合えなくなったんです。だから正直ゼラチンの連絡先も残してはいたけど、それほど関係は続いていなくて。なぜかと言うと、高校時代に美術部の女友達が、例えば文化祭などで私にピンク色の服を着せようとしたり、私が絵や漫画を描いても、「ペス山は普段、男の子みたいな感じだけど、こういうところはしっかり女だよね」と言ってきたり。そういうことが続いて、すごく女の人が嫌いになってしまったんですよ。当時は服装もゴスで中性っぽくして、男でも女でもないですよ、という態度を示していたんですけど、やっぱり中学まで〝おれ〟と言っていた名残りや、体の動きが妙に大きいとか、そういう仕草が女性を不安にさせるんでしょうね。無理やり矯正して〝女〟という枠に収めたがる感じで。そんななか、男友達ができたんですよ。私は自分のことを中性として扱ってくれる男友達が結構好きだったんです。でも女子がいない所で、彼らはすごく性差別的な発言をしていた。女の子はいないけれど、私がいる前ではそういう話をするので、微妙に仲間認定してくれているという意味では、ちょっと嬉しくもあったんです。けれど、お前の悪口は私の体の悪口でもある、という葛藤がやっぱりあった。私の心は認めてくれても、私の女の体に対してはとんでもないことを思っているんだなって。そういうこともあって、高校時代に完全に男女両方嫌いになってしまったんです。それにトドメを刺したのがX氏のセクハラでした。だから、男性にも女性にもちゃんした人がいて、女の人はセクハラをすごく嫌だと思っている、という本当に当たり前のことに気づくのに、何年かかったんだろうという感じです。

──高校時代にそんなことがあったんですか。酷いですね。

ペス山 でも当時は自罰が癖になっていたから、おかしいのは自分だと思っていました。男性と女性、二つの性のどちらかに体も心もしっかり当てはまっている人たちより、自分は劣っているから仕方ないんだって。だから、美術部の女の子たちの行動が残酷で酷いものだと思えたのも本当に最近のことで。連絡先を全部消しているのも、もちろん嫌いになってもいるんだけど、どちらかと言えば劣等感からくるものでした。今となっては対等だったと思うし、そのうえで酷いことをされたと思えるようになったんですけど。

──ちゃんと、そういうふうに思えたのは大きいですよね。『女の体』を読んでいると、ペス山さんとお母さんとの関係も気になりました。

ペス山 母とのエピソードに関しては、実はすっぽり忘れていた記憶があって。私はわりと記憶力はいいほうなんですけど、つい最近母から「覚えているか」と訊かれて全然覚えていない出来事があったんですよ。私は小学校6年生まではクラスでも体が大きいほうだったし、まだ自分は男の体になると信じて疑わなかったので、好きな格好をしていたんです。それでWWEのジョン・シナというプロレスラーに憧れて、ラッパーみたいなぶかぶかのジャージにデニムのハーフパンツという、かなりルーズな格好をしていました。そんなある日、東京に母と二人で映画を観に行くという時に、さすがにこれを着てくれ、と母が花柄の服を着せようとしたんです。私は泣いて嫌がったらしくて。けれど母もカーッとする性格なので、こんなだらしない格好をするぐらいだったら、お前とはもう外に出られない! と怒って。私は泣く泣く折れて花柄の服を着て、着たから連れて行ってくれと頼んだらしいのですが、母は出かける予定をキャンセルして花柄の服もゴミ箱に捨てて。その出来事が母の記憶の中では鮮明に残っているらしいのですが、私には一切記憶がなくて。

──記憶から排除してしまうほど嫌だったということですよね?

ペス山 普段は私の着たい服を買ってくれていた母が、心の底ではだらしないと思っていたことが、すごくつらかったんだろうと思います。だから忘れることで対処しようとしたのかなって。高校の友達に対する嫌な記憶を覚えていられたのは、身近な人ではないからですよね。それ以降も付き合っていかなきゃいけない相手ではないから。

──ペス山さんが性被害のトラウマの治療の中で、安心できる記憶として、優しくしてくれたお母さんに対して「嫌われてなかったんだ…」と思っているのを思い出しているシーンが印象的でしたが、今の一連の話を伺って、なるほどなあと思いました。

ペス山 母とはとにかく色々ありました。目に見えた貧困や虐待はなかったけれど、子供の頃の自分には、地獄みたいなことがたくさんあった。

──お母さん自身が、女であることに葛藤があったからこそ、余計に強い物言いになることも多かったんでしょうね。

ペス山 そう、実は最近、母にカミングアウトされたんですよ。「私、Aセクシャルだと思う」って。もともと違和感はあったけれど、最近のLGBTQ関連の記事を色々見て調べていたら、自分はおそらくAセクシャルだと。

──ああ、だから自分に興味のないお父さんが良くて結婚したわけですね。

ペス山 そうなんです。父もギターとお酒にしか興味のない人で、携帯の待ち受け画面も男性のギタリストの写真だったりするので。
──でも、お母さんもそういう違和感があって葛藤していたからこそ、例えばペス山さんがスカートを穿くことをやめても、悲しそうにはしても受け入れてくれたわけですよね。

ペス山 そうなんですよ。母は66年生まれなので、いわゆるワンレンボディコンの時代に青春時代を過ごした人で。就職も男女雇用機会均等法が施行される前で、完全にお茶汲みしかやらせてもらえないような時代だったそうです。そんななか、上司に怒鳴り込むような母だったから、私のやりたいことに対する気持ちは汲んでくれるんですよ。例えばバラキさんとプールに行った時も、タンクトップにぶかぶかの黒の半ズボンみたいなセパレートの水着を選んでくれたのは母で。「お前はこういうのがいいんじゃない」って買ってくれた。だから分かってはくれていたんです。ジョン・シナみたいな服も、買ってはくれる。だから花柄の服を着て泣いている私を見ていられなかったんだろうなって。そんな母から、Aセクシャルだとカミングアウトされるほど会話ができるようになるなんて、すごいなあと思います。



──ペス山さんは、『女の体』を描いたことで、自分についてはずいぶん整理できたと思うんですけど、今後はお母さんをテーマにした漫画も描かれたりするのかな、と思いました。

ペス山 どうなんだろう。母との関係は、私がADHDだったという部分が結構大きいので、もし描くとしたらテーマはADHDになるんじゃないかと思います。でも今のところ、そんなに描きたい感じではないかもしれません。

──逆に今、描きたいテーマはあるんですか?

ペス山 それが全然見えていなくて。今は出し切った感があります(笑)。

──そもそもペス山さんが漫画を描きたいと子供の頃に思ったのは、自分のことを描くために漫画という媒体がちょうどいいと気づいたからだそうですよね。漫画を描こうと思った時に好きだった作品として『美少女戦士セーラームーン』を挙げたりしていましたが、他にどんなものが好きでしたか? 映画も結構ご覧になっているのでは?

ペス山 映画は好きですが、そんなにたくさんは観ていないと思います。子供の頃は、それこそ分かりやすく少年漫画を読んで同人誌を買う子供でした。『NARUTO』から『BLEACH』『ジョジョの奇妙な冒険』『ONE PIECE』『スラムダンク』『HUNTER×HUNTER』まで、少年漫画ばかり。特に『封神演義』の同人誌は大量に持っています。映画に関しては、これは最近発見したんですけど、私は監督自身がマゾと思われる映画が好きなんだと気づいて。例えば町山智浩さんのラジオを聴くと、クリント・イーストウッドとメル・ギブソンは確実にマゾっぽいんですよ。『フォックスキャッチャー』『マネーボール』を撮っているベネット・ミラー監督も、実際にマゾかどうかは知りませんがマゾっぽい。逆にスピルバーグやラース・フォン・トリアーはサドだと思うし、正直あまり好きじゃないんです。スピルバーグの映画は面白いとは思うんですけど、心の底からは愛せないんですよね。なんというか、サドの監督が撮っている映画って格好つけている感じがするんですよ。でもマゾの映画監督は人間の汚い、格好悪い部分に肉薄して、逆に格好いいと思わせるような、マゾ的なナルシシズムがあると思って。例えば、メル・ギブソンは『ブレイブハート』で監督をしながら、俳優として自分が拷問されて殺される役も演じているじゃないですか。それって超マゾ的にナルシストだなって。「俺が死ぬところを見て!」みたいな(笑)。メル・ギブソンは人としては差別的でどうかと思うんですが、監督としては大好き過ぎるぐらい大好きですね。登場人物の中に深く潜って内臓に入っちゃうんじゃないかというくらい、近くで撮るイメージがある監督が好きです。

──面白い視点ですね。何を基準にマゾの映画監督がいいと言っているのかと思いましたが、なるほどなと思いました(笑)。

ペス山 私は、映画監督って自分を好きじゃないとできない仕事だと勝手に思っていて、それは多くの作家もそうだと思うんですけど、だからマゾもサドも両方ナルシストで、どちらのナルシストなのかという違いかなと。私も完全にマゾ的なナルシシズムで漫画を描いていると思います(笑)。

──なんとなく分かる感じがます(笑)。では最後に、ペス山さんが漫画に限らず、今後どうなっていきたいか、何をしてみたいかを教えていただけますか?

ペス山 『ボコ恋』の時は、どんなふうになりたいですかと訊かれて、蛭子能収さんみたいになりたいって答えていたんですよ。昔からその思いはちょっとあります。

──蛭子さんは、周りにどう見られているかなんて特に気にしていなさそうな、自分の生きたいような人生を、歩んでいる感じがしますよね。

ペス山 そういうの、すごくいいなと思って。あとはそうですね、今まで諦めてきたことを、改めてやりたいかもしれないです。例えばギターを弾いたり格闘技ジムに通ったり。実はどちらも高校の時にやめているんです。ギターも、中学校2年生ぐらいからバンドマンだった父親にギターを一本譲り受けて教えてもらうようになって。それで好きなプロレスラーの入場曲や、好きなバンドのリフも弾けるようになったんです。でも高校1年の時にメタルバンドを組もうとしたら、やっているのが男の子しかいなくて。彼らは私を女としてしか扱ってくれなかったんです。それがとんでもない疎外感で嫌になってギターをやめてしまった。そもそも私が思い描く、自分がなりたいギタリストも、やっぱり性別的に男なんですよ。ギターは男が弾くものという価値観を持っているわけではなく、単純に思い描いている自分ではないというシンプルな違和感があった。だからギターを弾こうと思った時もそうですけど、性別違和がゆえに、やりたかったのにやめたものがたくさんあることに気づいて。今からでもやっても遅くないのかな、という気持ちになっています。

──全然遅くないし、すごく素敵だと思います。本日はどうもありがとうございました。これからもペス山さんの作品を楽しみにしています!

 

 

女(じぶん)の体をゆるすまで(上)

 

 

女(じぶん)の体をゆるすまで(下)

 

『女(じぶん)の体をゆるすまで』上下巻 発売中!
●著者:ペス山ポピー

●発売:小学館

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