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ティーンエイジャーにささぐ、自由への脱走入門 #6 GUESUT 山下敦弘さん

対談・インタビュー


様々なジャンルのアーティストへ長尾謙一郎がインタビューする「ティーンエイジャーにささぐ、自由への脱走入門」。連載6回目となる今回のゲストは、長尾氏とは旧知の仲である映画監督の山下敦弘さんです。山下監督は最新作の『ハード・コア』が11月23日に公開されたばかり! そんな『ハード・コア』にまつわるエピソードから、絵を描くのが好きだった小学生時代、映画にのめり込んでいく中高生時代、熊切和嘉監督と出会った大阪芸大時代、そして最近の映画との対峙の仕方まで、たっぷりとお話を伺いました。

 




眼鏡男子の元祖

 


山下 今日は、どの角度から質問がくるのかな、と思って緊張しています(笑)。

長尾 付き合いが長いので、世間では知られていない話も色々知ってるので(笑)。最近は忙しいの?

山下 『ハード・コア』のプロモーション中……というか、次の作品に入るまでは暇ですね。だから今日は自分で赤羽に映画のポスターを貼ってこようと思って。今回の話は一応若者に向けて、ですよね? 40を越えたおっさんって、十代からしたらだいぶ大人ですよね。もう、ゆるーく腐ってる感じですよ、肉体とか。

長尾 でも山下くんは全然変わらないよね、眼鏡の形が変わっていくだけで。

山下 色々おっさんになってきたな、と思いますよ。

長尾 ヒゲ眼鏡男子で山下くんに似てる人って、いっぱいいるんじゃない? ヒゲと眼鏡で簡単に山下敦弘になれる! パーティーグッズとしてLoFtで売ろう(笑)。

山下 帽子眼鏡ヒゲリュックだと、もう僕なんです(笑)。

長尾 いつからか眼鏡男子がカッコいいという価値観が出てきたよね。

山下 10年くらい前から?

長尾 20年は経つでしょう。

山下 僕も眼鏡男子特集の取材は受けたことがある(笑)。でも、眼鏡男子の草分け的存在と言えば、たぶん、くるりの岸田繁さんですよね。あの眼鏡でロックをやっているのがカッコいい! みたいな。元祖な気がします。

長尾 山下くんの眼鏡を見れば、今どんな眼鏡が流行っているか分かるよ。いまは黒の細いスティールってことだね。

山下 やめてください(苦笑)。でも、くるりと同時期くらいに、向井秀徳さんやeastern youthも出てきたから、眼鏡男子が今みたいに定着する前から「眼鏡でロック」は意外といましたよね。

長尾 眼鏡の話を聞きに来たわけじゃないのですが。

山下(笑)。

『ハード・コア』
©2018「ハード・コア」製作委員会
11月23日(金)全国公開
配給:KADOKAWA




絵を描くのが好きだった少年期

 

長尾 山下くんは、どんな子供だった?

山下 お調子者でした。二人兄弟の末っ子なので、無邪気で泣き虫で内弁慶だけど、家の中や友達の前ではワーッとはしゃぎつつ、先生の前ではおとなしい、みたいな。

長尾 生まれは川崎だっけ?

山下 いや、最初は愛知県の豊田市にいて、そのあとに川崎に転校して、また豊田に戻る。絵を描くのも好きでしたね。今は全然描かないけど。

長尾 どんな絵を描いてたの?

山下 模写ばかりでしたけど、チーターのフォルムが好きで、よく描いていました。いまだにチーターの映像を見ると、カッコいいなあと思うくらい。

長尾 わかるわかる(笑)。

山下 トラもカッコいいけど、チーターには品があるんですよ。チーターになら噛まれてもいいかなって。追いかけられたいというか……。そのあとは『キン肉マン』とか、漫画の模写をしていました。実は小さい頃に絵画教室にも通っていたんですよ。意外でしょう? 習い事は嫌いなんですけどね。小さいときって、模写が似ていると周りに友達が集まってくるんですよ。そういう価値観で絵の教室でも緻密に描いていたら、全然、先生が褒めてくれないんです。大胆に描いているヤツばかり褒められて……。

長尾 あるね。

山下 何だろう? いい絵の基準って、どこにあるんだろう? と思いながら、適当に描いた失敗作が「いいね」とか言われて、これ、いいか?? って。

長尾 わかる。混乱したよね。

山下 でも、そこから、うっすら気づいてくるんですよ。隣のヤツの大胆さ、下描きしないでバーッと描く感じ、俺にはできないわって。俺は枠を描いてから几帳面に塗っていく感じなんだけど、そいつはヘヘヘとか言いながらいきなり塗っていく。確かにちょっとカッコいいなと思ったこともあったけど、何か腑に落ちない。そういう感じだったけど、絵は中学くらいまではノートの端に描くのが癖だった気がします。




映画への目覚めと、特殊造形への憧れ

 

長尾 映像に興味があったのは子供の頃から?

山下 映画はずっと好きだった。最初は『E.T.』『(ミラクル・ワールド)ブッシュマン』(*現在は『コイサンマン』に改題)、あとは『Mr.Boo!ミスター・ブー』とか。

長尾 『Mr.Boo!』は映画館で見てないでしょう?

山下 いや、僕はたぶん最初に豊田で映画館に行ったのが『Mr.Boo!』と『ブッシュマン』の2本立てなんですよ。まだ4、5歳の頃。

長尾 あのへんって大人が見る映画なのに、子供の頃の俺たちに向けて、つくられていたような気がする。

山下 『E.T.』は、話が若干子供目線だった。長尾さんは小学生の頃ですよね? 僕はたぶん『E.T.』のストーリーをほとんど理解していなくて、とにかく音楽にやられた感じ。あとは、飛んだー! みたいな(笑)。それで話はまったく分かんないのに、非常に感動してパンフを買ってもらった覚えがある。あの頃は映画がイベントでしたね。そこから特撮というか、ハリウッド映画の造形を好きになる。

長尾 東宝のゴジラじゃなくて。

山下 じゃなくて、『スター・ウォーズ』の変な動物とかが好きだった。兄貴の友達の家でスター・ウォーズ大百科を読ませてもらい、同時にジャッキー・チェンにもハマり、ジャッキー・チェン大百科もそこで読ませてもらった。だから、映画館で知ったというより、あの本で知った感じ。小学3、4年になると、ホラー、スプラッターブームがきて、『13日の金曜日』『エルム街の悪夢』とか、怖いもの見たさもあってハマった。

長尾 よく、小学校3、4年でホラーが見れたね。

山下 川崎にいた頃なんですけど、ちょうどレンタルビデオが走りの時期で、男女6人くらいの仲のいいグループで、よく一緒にお小遣いを出しあって上映会をしていたんですよ。4年生くらいだと女子のほうが大人びているじゃないですか。それで女子が『13日の金曜日』を見たがって、一緒に見ているうちに僕らもハマったんです。当時はホラー映画専門の雑誌も出ていたから立ち読みしたりして。その頃は映画監督という職業なんて想像もつかないから、造形の人に憧れた時期がちょっとありましたね。特殊メイクとか怪物をつくったりするのとか。もっと遡ると、水木しげるの妖怪が好きで、その流れもあったと思います。

長尾 あの当時は、『スター・ウォーズ』も『E.T.』もそうだけど、造形ものがやけにあったよね。

山下 『ネバー・エンディング・ストーリー』のファルコンもカッコいいなあと思ってた。

長尾 アメリカン・ニューシネマが終わって、変革が起きたんだろうね。「敗北」から「現実逃避」へ。




 

転機となった『フルメタル・ジャケット』

 

山下 映画がイベントだったのは小学校までですね。レンタルビデオが普及してからは、家でひとりで見るようになったので。そこから映画の見方が変わった気がします。古い映画を家で見られるようになって、僕の場合はデ・ニーロ、アル・パチーノといった俳優にハマって、いろんな映画を見はじめた。『タクシー・ドライバー』も中学2年くらいの頃に兄貴経由で知って。

長尾 中2でニューシネマを見ている人はいなかったな。

山下 ニューシネマって自覚もなかったですけどね。でも、たぶん背伸びしようとしていた時期。あの頃に、ちょうど『プラトーン』や『フルメタル・ジャケット』が流行ったじゃないですか。だから僕は、中1で『フルメタル・ジャケット』を見るんですよ。『エルム街の悪夢3』を見に行ったら同時上映が『フルメタル・ジャケット』だったから。それで、なんだこれは、と。友達はぽかんとしていたし、俺も半分くらい分かんなかったけど、一体何なんだ、と思って映画雑誌を見ると、どうやらスタンリー・キューブリックという、凄い監督の作品らしいことが分かる。それが転機でしたね。

長尾 俺が『エルム街の悪夢3』を見たのは高校生だった気がする。でも、『フルメタル・ジャケット』って、テレビ的にはそんなにプッシュされてなかったよね? 『プラトーン』ばっかりだった。

山下 でも『フルメタル・ジャケット』は今見ても面白くて、さすがだなと思う。で、それくらいの時期からちょっとずつ映画の嗜好も変わってくる。

長尾 クラスメイトの中でも映画に関しては抜きん出た存在だったでしょう?

山下 友達の間では、たぶん「山下は映画好き」ってキャラだったと思う。友達と見に行くのは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』とかだったんですけどね。でも、本当に映画にドハマりするのは、山本剛史と出会ってから。そこから、ふたりでどっぷりハマっていくのが中3から高3。タケちゃん(山本剛史)は今回の『ハード・コア』にも出ています。





盟友・山本剛史との出会い


 

長尾 中学の友達とよく映画を撮ったよね。ふたりで映画にハマって、タケちゃんが「お前は監督になれよ、俺は役者な」って感じだったの?

山下 いやいや、そんな(笑)。タケちゃんとは中3で転校した先で仲良くなるんですけど、俺は転校生だから、学校ではシステム的にも人間関係的にも新しいことだらけで気が張ってるし、家では反抗期も重なって不機嫌な感じで。それがタケちゃんと仲良くなって、一気に変わる。転校する前の中学はサッカーの強い学校だったから最初はサッカー部に入るんですけど、タケちゃんと映画にハマっていくうちにサッカーへの興味も失い……。で、高校くらいから一緒に遊びで撮り始めて、最初はカメラの前で変な顔をするところから始まる。

長尾 お父さんが持っていたビデオカメラで?

山下 そうですね。最初はあまりにも暇だったから、男4、5人で集まって、夜中の変なテンションで撮り始めて。そこから、タケちゃんと「もうちょっと何かやりたいね」と話していたら、タケちゃんが『ロボコップ』をやりたいと言い出した。高校生だったし、たぶん吹越満さんのロボコップ芸に影響されたと思うんだけど、じゃあ俺が撮る、って。それがたぶん、ふたりで撮った1本目です。

長尾 テレビ演芸の影響もあるわけね(笑)。

山下 最初は脚本の書き方も分からないから、4コマ漫画みたいな絵コンテをワーッと授業中に描いたりして、そういうのを持ち寄って撮っていた。出来よりも、撮っていること自体が楽しいから、ハマって何本かやるんだけど、途中で飽きちゃったりもして。

長尾 俺は小学校のときに、親戚の家に大きなビデオカメラがあったけど、大人しか触っちゃいけなかった。それを山下くんは持ってしまったわけね。

山下 そうですね、高校くらいのときに親父が買ってきて。やることがない男だらけのグループだったから、暇潰しというか遊びで。でも、それぞれ彼女ができたりして、ちょっとずつ解散していくんですよ(笑)。

長尾 それはアメリカのインディーズ映画とかが出てきた頃?

山下 スパイク・リー、タランティーノとかが出てきた頃。日本でも塚本晋也さんが活躍されていて、『スウィングガールズ』の矢口史靖さんが『裸足のピクニック』を撮っていたくらいの時期です。若手では橋口亮輔さんも出てきた。橋口さんは大阪芸大出身だから、僕らの先輩ですよ。

長尾 その頃だと、俺が見ていたカルチャー雑誌には塚本晋也さん、園子温さん、イワモトケンチさんの3人がよく出てたな。当時は『鉄男』を見に行くのがおしゃれな感じでしたよね。




 


熊切和嘉・向井康介と出会った大阪芸大時代


山下 長尾さんも実家は愛知ですけど、名古屋で『鉄男』を見ていたんですか。大阪芸大に入ってから?

長尾 いや、俺は見てないよ。「宝島」に載ってる写真だけ見て、見たふりしてた(笑)。山下くんも、大学に入学してから、さらに本格的に映画の道に向かうわけでしょう?

山下 そうですね。ガラッと環境が変わって、周りに面白いヤツがいっぱいいた。まず、自分より映画を見ているヤツがいっぱいいるから、そこでショックを受ける。

長尾 平和寮ってあったよね?

山下 僕、平和寮でした。

長尾 あそこは映画を撮っている人が多かった。熊切和嘉さんもだよね?

山下 僕らは熊切さん一派みたいな感じで、熊切さんの映画を手伝っていました。そこが運命的というか……熊さんと一緒の寮に入ったのは大きかった。

長尾 山下くんの作品でいつも脚本をやっている向井(康介)くんも平和寮?

山下 向井は違いますけど、平和寮が一番大学から近いので、みんなが集まるんですよ。

長尾 俺は庵野さんや高野寛さんが住んでいたと言われている小路寮だったんだけど、平和寮にはよく入り浸ってた。でも、こうして話を聞いていると、山下くんは本当に出会いに恵まれているよね。そこに関して、あまり客観的には見られないだろうけど、なかなか無いことじゃない?

山下 いや、人に出会う運はある気がしますね。野生の勘というか(笑)。

長尾 山下くんが「俺は映画をやりたいんだ!」と言ったときに「いやいや、無理!」って言う人はいなかったの?

山下 むしろ、長尾さんは「俺は漫画家になるぞ!」って感じでした?

長尾 俺は途中からそうだったよ。

山下 僕からすると、熊切さんは誰がどう見ても出会ったときから監督でしたけど、自分は全然、監督ってテンションじゃなかったんですよね。僕の代は、みんな実は監督をやりたかったんだけど、遠慮して誰も言わない感じで……。

長尾 山下くんも、そこで「俺が監督をやるよ」って言えるタイプじゃないよね? 性格的に。

山下 そう、言えないタイプなんだけど、自分で言うのもなんですけど、うまくやったなって思います。高校のときに撮ったロボコップの映像を見せたりして、俺、一応撮ってるし、みたいな。そのハッタリが意外と効いて、監督をやることになった。高校時代に何かやっていたというのは強いから。

長尾 あるよね。俺もよく見せられた。

山下 だから、まずは先手を打って、そのままやってきた感じはあるかな。また監督って、技術職じゃないでしょう。カメラの露出がどうこうという知識もいらないし、僕は脚本も書けないし、要は役者を動かすだけ。だから、ある種の無責任感も含めて、適当力、ハッタリ力が効いた。でも、そのフワフワした在り方が実は監督のポジションとして、みんなの求めていたものだったというか。僕自身は空っぽみたいな感じなんですよ。ただ、一応言いだしっぺだから、とりあえず最後までつくろう、という責任感だけでなんとか学生時代はやっていましたね。

長尾 組織は中心にいる人が「空っぽ」だとうまくいく、って河合隼雄さんが言ってるね。監督として映画づくりの現場にいてどうだったの?

山下 大学に入学して2年くらいは、現場、編集、完成まで熊切さんの映画をとびとびで手伝っていたんですよ。そこでうっすら勉強していたような気はしつつ、でも僕が思ったのは、自分は熊切さんみたいにはなれないということ。熊切さんには映画に対するものすごい執念があった。だから『鬼畜大宴会』を手伝って、ああ、俺にこの熱量はないな、『鬼畜大宴会』みたいな映画はつくれないんだな、という経験を得た。じゃあ、俺は鬼畜じゃないことやろう、と思ったのは覚えています。向井とボケーッとそういう話をして。

長尾 一種のアンチテーゼのような?

山下 まあ、敵わないなっていう。絶対に熊切さんには敵わない。師匠を越えなきゃ、という気持ちが、もしかしたら当時はあったのかもしれないけど。

長尾 そうなると批判するよね。

山下 自分は自分のやり方で、という一方で、あの大学の4年間は先輩後輩の関係性が機能していたと思うんです。それこそ昔の撮影スタジオじゃないですけど、先輩監督と助監督がいて、いずれ助監督が監督になるみたいな構図の縮小版が、あの頃にはあった気がする。だから僕のベースにある考えは、わりと古臭いと思う。
 





作品の運命とエネルギー

 

長尾 作品って人間みたいに運命のようなものがあって、作品によって幸運や不運があるように思うのだけど、山下くんは自分の作品でそういうことってある? もしくは不運にならないように心がけていることはある?

山下 たぶん長尾さんと僕が一番違うのは、長尾さんは、ひとりで世界を広げていく仕事じゃないですか。僕の場合は、横に広がったものを集めて固めていく作業だから、たぶん、いい人と出会うか出会わないかに尽きる。僕は、そういう出会い運はツイていると思うし、その勘が自分にはあったんだろうと思います。

長尾 相手は自分で選ぶの?

山下 選んでいると思います。この人とはたぶん、やらないほうがいいな、という場合は企画の内容以前に断るので。

長尾 断ったほうがいいかどうかは、どういうところで見るの? それ、教えてよ。

山下 でも結局、自分が持っていないものを持っている人に惹かれるんですよ。自分と同じような人は嫌だなという気持ちがある。

長尾 選んでるんだね。

山下 あとは長尾さんもそうだと思いますけど、長くやっていると作品で人が繋がっていきますよね。つくったものの魅力で縁が広がるから。それこそ『山田孝之の東京都北区赤羽』を撮るときに、松江(哲明)くんと一緒に、山田孝之くんに長尾さんの『クリームソーダシティ』を渡したら、それがすぐに『山田孝之のカンヌ映画祭』『映画 山田孝之3D』に繋がったから凄いと思った。まさか長尾さんと山田孝之の名前が同じ作品に並ぶ日がくるなんて、あのときは想像できなかった。だから、作品のエネルギーや魅力が衰えていくと、人も寄ってこないんだろうな、って。で、若い頃は変な自信や熱量が無意識にあったけど、年を重ねて角が取れていくと、また違った人が集まってくる気がする。ちょうど今、声をかけてくれるのが、僕が30代前半くらいまでにつくった作品を見てくれていた世代だったりするんですよ。例えば、『リンダリンダリンダ』を中学生で見ました、みたいな人がCMの現場にいたり。若づくりしちゃいけないなと思いつつ、でも若い頃は、なんであんなものが撮れたんだろう、と思うこともあります。

『山田孝之のカンヌ映画祭』  
©「山田孝之のカンヌ映画祭」製作委員会


 



映画のようなもの──『どんてん生活』『もらとりあむタマ子』

 

長尾 山下くんの最高傑作って、自分では何だと思う?

山下 遡れば遡るほど、たぶん、今の自分には撮れないものになるんですよね。一番最初の『どんてん生活』はその塊。あのときにしかできなかった、一番純度の高いもの。面白いかどうかは別として、自分の原点は絶対に『どんてん生活』なんだろうなって思う。

長尾 デビュー作を一番いいと言えるのは凄いね。

山下 でも最高傑作と言われると、個人的にはそうなっちゃうかなあ。あの頃の自分が一番、暴れていたなって思う。みんなに支えられてつくっていたけど、周りを振り回した時代だったから。そこから、だんだん変わって、今は振り回さないようになったけど。『どんてん生活』って、つくったときは、すげえ恥ずかしかったんですよ。

長尾 それは何で?

山下 映画じゃなくて、映画のようなもの、ができちゃったと思ったから。でも、今はそれが一番できない。今は映画らしくつくっちゃうし、映画らしくなっちゃうんですよ。面白いか面白くないかはさておき、あの頃の映画のようなものって、ちょっと憧れる。それが一番強いよなって思う。そう思うと、実は前田敦子さん主演の『もらとりあむタマ子』も近い感覚で、それは、もともと映画としてつくっていなかったから。最初はケーブルテレビの深夜ドラマの企画で、4話で四季折々の話をつくる、というところから始まったものなので。途中でプロデューサーから、映画にしませんか、と言われて、向井がなんとか頑張って、70分ぐらいの、映画としては寸足らずみたいなものになりました。で、完成して公開してみたら、これは確かに映画のようなものだな、と思った。若い頃とは違う熱量でつくったから、『どんてん生活』とはまた違うけど、ガス抜きになったというか、こういう作品でもいいんだよな、と思いましたね。

長尾 たくさん撮っているうちに、粗削りなものに魅力を感じるようになってきたのかな? しかし、なんとなく、自家中毒のようにも感じるなあ。手癖がついちゃった自分を知っているから、映画らしい映画から外れたものに魅力を感じてしまうと。

山下 この20年で色々身についちゃったから、余計なことも考えちゃうんですよ。それこそプロデューサーの顔色とか、予算とか、撮影日数とか。

長尾 なるほど。じゃあ、自分の映画で好きなシーンは?

山下 僕、長尾さんと出会った頃に、長尾さんから『ばかのハコ船』のどのシーンが好きか訊かれたことがあるんですよ。それで僕は中学時代の回想シーンが好きだと答えた。付き合ったふたりがデートするわけでもなく、主人公は家でずっと『ビー・バップ・ハイスクール』を読んでいるんですよ。すると女の子が帰ると言い出して、え、なんで? となる。その、どうでもいいところで帰るシーンが大好きで。それを長尾さんに言ったら「えー…あのシーンが好きなの?」と言われて(笑)。でも、あのシーンはいまだに好きですね、理屈じゃなく。

長尾 世界中で笑っているのは山下くんだけじゃ?(笑)

山下 そうそう。俺がたぶん一番このシーンを分かる、みたいな。
 

『もらとりあむタマ子』
©2013『もらとりあむタマ子』製作委員会




 

『マイ・バック・ページ』
 


長尾 『マイ・バック・ページ』では政治や思想も扱っていたよね。最近はもう、ああいう映画って無い気がする。

山下 僕もあれくらいですね。でも、たぶん一言で言っちゃうと、僕は「思想」に興味がない。『マイ・バック・ページ』みたいな映画をつくっておきながら、まったく考えてなかったですね。考え……というか、頭では一応理解しているけど、感覚としてはまったく理解できていなかった。

長尾 『マイ・バック・ページ』って、2011年公開? その前はずっと撮れないと言って、直してばかりだったよね。3年くらい直してた? 何をそんなに苦労してたの?

山下 『マイ・バック・ページ』には、川本三郎さんの『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』という原作があるんですよ。原作の中で、例えば学生運動の横でアメリカン・ロックがあって、ベトナム戦争があって、はっぴいえんどがいて……みたいな描写は純粋に面白いんです。ああ、こういう時代だったんだなと思って。じゃあ、どこを映画にするかというときに、自衛官殺害事件についてやろうと。ところが松山ケンイチさんが演じた犯人側にどんどん興味が沸いてきちゃって、最初にあがった脚本が犯人主役の時間ものになってしまった。そこから原作に引き戻していくような作業だったので、すごく時間がかかったんです。主人公の記者を、どう主人公にしていくか、という部分でずっと自問自答して、最後までこれでいいのかな、と悩んでいました。

長尾 松山ケンイチさんを主役にするのは原作者としてはナシだった?

山下 原作者というか、プロデューサーとも話して軌道修正しました。松山ケンイチを軸とする、赤邦軍という若いグループのドラマがすごく面白くて、そっちの群像劇に興味が沸いちゃったんです。

長尾 内ゲバ?

山下 ──の、もっとショボいやつ。カリスマの先輩がいて、それに惚れる愚かな女がいて、というのが面白くて。米軍基地に行って銃を奪おうとしたり、実は自衛官殺害事件の前にも色々やっているんですよ。そっち側の話を描いていくと時間の映画になっちゃうから、全部端折りました。




 

作品に向き合う姿勢の変化──「空気で分かる」




長尾 でも、お互いにこうして長くやっていると色々変わってくるよね。俺は、昔は迷ってばかりだったけど、最近はあまり迷わなくなった。

山下 僕はさっきも話したように誰とやるかが重要だから、最近はつくっているうちに最終的には自分がいなくなっちゃう感覚なんですよね。最初は「よしやろう!」と言いだしっぺで始めて、自分が言ったことに対してカメラが動いて、照明がセッティングされて、メイクさんがいて……という中で、だんだん最初に自分が意図したものからズレていって、ふわーっと自分の狙いみたいなものがなくなったときにOKということが多い。

長尾 昔はコントロールしたかった?

山下 昔は自分でこねて形づくった粘土を提示して、これをつくってください、という感じだった。でも最近は粘土だけ置いて、その粘土をみんながどう動かすかを観察して、本当に違うときは言うけど、大体は、最初の空気でそのまま最後までもっていく感じです。昔は細かくミリ単位でやっていたけど、全然そうじゃなくなった。

長尾 絵を描いていて絵具がタラーッと垂れてきてしまう感覚だね。垂れた、肘がカスってしまった、まあいいかみたいな。

山下 そうそう。実は『ハード・コア』は、みんな寝られない、ボロボロの状態で撮っていたんだけど、タケちゃんはワンシーンだけだったから余裕で、後から聞いたら、俺、本番中に目をつぶっていたらしいんです。用意スタート、で目をつぶったまま、はい、カットOKと言っていたと。全然、自分では覚えていなくて驚きました。でも、たぶん見ているんですよ、俺。音も聞いているしリハも見ているから。「本番中、あんた目ぇつぶってたよ」と言われて、ああ、全然記憶はないけど、俺もその境地まできたか…と。昔はぐーっと凝視していたけど、最近はそんな感じになってきましたね、全体の空気で分かるから。まあ、疲れてたのもあるけど(笑)。

長尾 空気で分かるってすごいね。でも、なんとなくその感覚は分かる。ある辣腕編集者がネームを見る際に目をつぶって手をかざしたことがあったなあ(笑)。

山下 だから、ひとつのことに執着する時間は減ったのかもしれない。それがいいのか悪いのかは分からないけど。

長尾 人によっては「努力が足りないよ、山下」って言うのかもしれないけれど、なんか分かるな。山下くんが言ったみたいに、年齢が上がっていくと、だんだん角が取れて、もう努力というよりも、いかに肩の力を抜くかにフォーカスしていくんだよね。でも、やっぱりたまには努力もしたいよね、お互い。





『ハード・コア』は節目の作品、これからのこと

『ハード・コア』
©2018「ハード・コア」製作委員会



 


山下 実は『ハード・コア』は劇場公開20本目という節目の記念作品でもあるんです。22で初めて劇場公開作品をやって、20本目。

長尾 20年で20本って凄いな!

山下 俺、こんなに撮ってたんだって自分でも驚きました(笑)。

長尾 俺は去年20年目だったけど、あまり言わないようにしてた。そんな実感もないし。キッズリターンよろしく、まだ始まってもいねえし。

山下 本当ですか? 僕は逆に節目にしちゃおうと思って。最近、明確に新人・若手という時期は終わったんだな、とひしひし感じるんですよ。ギリギリ40になるまでは若手と言われていたのに、40になったら、そうでもないらしいことに気づいて。もう中堅と言われてもしょうがない時期に入った。

長尾 ベテランじゃないの?

山下 中堅ですよ、中途半端な。でも、40を越えて、若い頃にあった変な意地はなくなってきた。『ハード・コア』って珍しく自分から出した企画で、20代のときにやりたかった企画が40でようやく実現したんです。だから、今、自分でポスターやチラシを配ったりしているのは、20代の頃の意地。これが終わったら、そういうこともやめようと思って、そういう意味でも節目。自分の中のけじめとして、できることは全部やって終わろうと。これが終わったら、もしかしたら吹いている風が違うかもしれない。それは向かい風かもしれないけど。

長尾 そういう気分わかるよ。

山下 日本映画って年間ウン百本もつくられて消費されていくじゃないですか。自分でも20本つくってきて、全部が残っているわけじゃないと思っていて。消費されてみんなの記憶から消えていっちゃうことが分かって、無理やり記憶に残ることやろうって気持ちもあります。『クリームソーダシティ』にも、そういうものを感じる。長尾さんの全部が詰まっている感じがした。

長尾 でも、変わるのって時間がかかるよね。俺は永い休みを通過したことで感覚が変わったかな。時間をかけて細胞ごと変えた。

山下 長尾さんは変わったと思う。一番分かりやすいのは、長尾さんと喋っていると、会話が二手先くらいにいっちゃうの。「分かるでしょ?」と言われて、分かってないのに何回か「ハイ」って返事したことがあるくらい(笑)。どんどん話が壮大に、ガーッと広がっていくときがあって、やべえ、俺、全然分かんないわ、って長尾さんが怖くなるときがあった。それが、今や、こんなに穏やかな長尾さんがいて、長尾さん自身も角が取れたと実感しているのが面白いと思って。今の長尾さんからは見える景色も違うだろうから、また今までとは違ったものが出てくるんだろうと思う。『ギャラクシー銀座』も『PUNK』も『クリームソーダシティ』も、こういうものがくるのかな? と思っても絶対予想どおりにいかなかったから、次も絶対そうだと思うし。楽しみですね。

長尾 来年頭に次の連載が始まるんだけど、次は、変わりすぎてちょっとビックリするかもね……。俺、一回『クリームソーダ~』で死んだんだよ。あれ、実は自殺なんだよね。

山下 なんとなく言いたいことは分かります。俺は『ユメ十夜』(*2007年公開/第八夜が監督:山下敦弘・脚本:長尾謙一郎)を一緒にやっていた頃、長尾さんと会って話すたびに、新しいものをつくらなきゃ、って強迫観念があった。自分の性格的にはそういうタイプじゃないのに、長尾さんが一緒に行こう! って感じだったから(笑)。あれは強烈に覚えています。

長尾 自分で自分を追いつめてた(笑)。

山下 まあ、でも節目とは言ってますけど、俺はそんなにすぐには切替えられないし、自分の意識が変わるのはもっと先だと思っています。

『ハード・コア』
©2018「ハード・コア」製作委員会
1123日(金)全国公開

配給:KADOKAWA
http://hardcore-movie.jp/



 

プロフィール 


山下敦弘(やました・のぶひろ)/1976年生まれ、愛知県出身。映画監督。『どんてん生活』(99)、 『ばかのハコ船』(03)、『リアリズムの宿』(04)と“ダメ男三部作”を手がけ内外で評価を受ける。05年『リンダ リンダ リンダ』が大ヒット、続く『天然コケッコー』(07)では第32回報知映画賞監督賞、第62回毎日映画コンクール日本映画優秀賞をはじめ数々の賞を受賞。その他監督作品に 『松ヶ根乱射事件』(07)、『マイ・バック・ページ』(11)、『苦役列車』『BUNGO/握った手』(12) 、『もらとりあむタマ子』「午前3時の無法地帯」(13)、 『超能力研究部の3人』(14)、『味園ユニバース』(15)、 『オーバー・フェンス』『ぼくのおじさん』(16)、「山田孝之のカンヌ映画祭」(17)など。


長尾謙一郎(ながお・けんいちろう)1972年愛知県生まれ。漫画家。漫画を中心に映像、ペインティング、アートディレクション、アニメーション、テキスト、音楽など活動は多岐にわたる。主な代表作『クリームソーダシティ』『PUNK』『ギャラクシー銀座』『おしゃれ手帖』、MV「放課後シンパシー」(テンテンコ)「ティティウー」(荒川ケンタウロス)など。2019年1月より新作漫画を発表予定。

 

 



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