劇作家・演出家対談 ロロ主宰・三浦直之×範宙遊泳主宰・山本卓卓
ロロ、範宙遊泳という劇団を主宰しながら、作家・演出家として躍進する三浦直之と山本卓卓。ふたりは、同世代、劇団ベースの作品づくり、岸田國士戯曲賞最終候補ノミネート──と共通点も多く、10代から様々なカルチャーに親しんできた点でも似ている。一方の三浦が、それらのカルチャーをコラージュするように作中に取り込み、時間、空間、時には種族すらも越えた「出会い」の瞬間をポップに物語化してきたのに対し、山本はテキストや画像を舞台に投写し、物質、生身の俳優の身体など、あらゆる要素を舞台上で等価に扱うことで、独自の演出方法を確立してきた。そんなふたりが、いま何度目かの転機を迎えている。三浦は昨年より高校生に捧げる「いつ高」シリーズを開始し、山本は度々海外におもむき、現地の作家とコラボレーションを重ねている。新作本公演を目前に控えた三浦、ニューヨーク、シンガポールでのクリエイションを終えたばかりの山本、新たな道の入口に立つふたりが、互いにどんな思いを抱えているのかを率直に語ってもらった。
演劇・俳優に対する姿勢
──三浦さんと山本さんは、87年生まれの同級生で、それぞれロロ、範宙遊泳という劇団を主宰しています。何かと共通点も多く、普段から交流もあるふたりですが、実は対談するのは初めてだそうですね。そもそも、ふたりの出会いは?
三浦 オレが、望月(綾乃/ロロ俳優)さんの出ている卓卓くん演出の舞台(10年 花ざかりのオレたちです。『三五大切』)を観に行ったのが最初だよね。
山本 そうだね。22歳くらいの頃かな?
三浦 だね。オレ、初めて卓卓くんの舞台を観た時に、すごく情報処理が巧みな人という印象を受けたんだよ。その印象は今でも変わらないけど、でも違ってたな、と思う部分もある。
山本 違ってたと思うのはどういうところ?
三浦 オレは、卓卓くんって超ドエンタメもさらっとやる人なのかと思ってた。でも最近の範宙を観ていると、卓卓くんは自分の情報処理能力の高さに対して、何か違うことをやろうとしているように見えて。だから『東京アメリカ』(12年初演)あたりまでは情報処理の巧みさが目立っていたけど、それ以降、最近の作品を観ていると、むしろ隙間をつくる作業をしているのを感じる。オレは逆に情報処理があんまり得意じゃないから、今でもそれを上手くなりたいと思ってるんだけど。
山本 やっぱり、人間って自分に足りないものを追い求めるじゃん。「オレは情報処理が得意だ!」みたいに思っている時期は確かにあって、その頃は文章を編集してまとまりよく見せることも、実は結構簡単なんじゃないかと思ってたの。でも何で簡単なんだろうと思った時に、「あ、僕には言いたいことが無いからだ」と思っちゃったわけ。だって本当に何かを伝えたいと思ったら、その思考の紆余曲折も見せていくじゃないですか。だけど僕の場合は、そういうものを残酷にバツバツ切ることができちゃったんだよね。それって果たして余白を生めているのかと言えば、生めていないなと思って。そこからは、作り方としてだいぶ意識が変わった。もちろん、お客さんは情報処理が綺麗にされているほうが観やすいんだけどね。
三浦 範宙が今みたいにスクリーンにテキストを映すようになってから印象的だったのが、英語字幕が付いた時に英語力の低いオレでも理解できたこと。それは言葉がシンプルだからなんだけど、そのシンプルさがすごく鮮烈だったんだよ。極限まで削ぎ落とされているから、むしろ言葉が立つし、前回の『われらの血がしょうたい』(15年)は、シンプルな中に、さらに卓卓くんの文体があるのもすごく感じた。オレはいろんな人の文体に影響されるから、卓卓くんが自分の文体を見つけているのが、すごく羨ましくて。オレも負けずに自分の文体を見つけなきゃと思った。あの文体の正体はすごく気になるし、他の何にも似てないと思う。
範宙遊泳『われらの血がしょうたい』2015年 撮影:金子愛帆
──今、三浦さんが「影響」という言葉を使いましたが、ふたりの共通点のひとつは、様々なジャンルのカルチャー、例えば映画や小説、音楽、マンガなどを10代の頃からたっぷりと吸収してきて、それらの蓄積が、当たり前に演劇作品に反映されているところだと思うんです。ただ、その反映のされ方は全然違いますよね。
山本 たぶん僕は基本スタンスとして批評型なんですよね。だけど、三浦くんの場合は同化というか、自分に近づけていくタイプだと思う。だから「影響」という言葉で言うと、三浦くんは純粋影響、僕は批評影響なんですよ。僕は、まず「NO」から入って、自分の立ち位置を決める。で、さっきの三浦くんの話だと、岡田利規さん(チェルフィッチュ主宰)にも言われたんだけど、岡田さんは若手の演劇作品を観ている時に、自分の文体が意識されているなと感じることがあるんだって。でも僕はそうじゃないと。「むしろ、山本くんは僕なんかに乗っかる気もないよね」という話をされた時に、確かに僕は岡田さんの文体を凄いと思ってるんだけど、やっぱり「NO」から入っていくから。だから本当に三浦くんのように、ひたすら、いろんな栄養を吸い取っていくタイプとは、ちょっと違うと思う。
三浦 でも、そこまでシンプルになっていったのは何でなの?
山本 それはたぶん自己否定だよね、さらに。こじらせてるんだよ(笑)。最初は他者否定だったけど、他者から始まった果てに自己否定に行き着くというか。
──ちなみに、山本さんは三浦さんの作品で、一番最初に何を観たんですか?
山本 たぶん『ボーイ・ミーツ・ガール』(10年本公演版)だと思うんですけど、素敵な作品でしたね。何と言うか、すごくポジティブだなと思って。このポジティブさ、オレには無いぞと(笑)。要するに、男子が壁を破って女の子にアクセスする話じゃない? それが三浦くんの描くボーイ・ミーツ・ガールの形なんだろうけど、その障害、僕なら諦めちゃうって思った。単純にそこで、「あ、僕とは違う」って。それも批評影響ですよね。だから三浦くんの作品をいくつも観るうちに、改めて自分のスタンスを教えてもらうというか。ちょっと前に、「僕ら全然違う道に行ってるね」って話もしたんだけど、それは当然だと思う。
ロロ『ボーイ・ミーツ・ガール』2010年 撮影:セザンヌ
──違う道というと、三浦さんは高校演劇のフォーマットを踏まえて、高校生に向けてつくる「いつ高」シリーズを始めましたし、山本さんは海外で現地の作家とコラボレーションする機会が増えましたね。ふたりのそういった変化は、わりと近い時期に起こったように思います。
三浦 それは……やっぱり意識してるし、ライバル視はしてるんだと思う。
山本 ちょっと前はそうじゃない、って言いたかったけど(笑)。
三浦 そうそう。だからオレ……この何年かで前よりは演劇をつくるのが上手くなったと思うの。それは同世代に卓卓くんがいることが絶対に大きいと思う。
山本 ちょー嬉しいこと言ってくれるじゃん!
三浦 オレ、基本的には嫉妬みたいな感情って無いタイプなんだけど、ここ1、2年で言葉の感覚が変わったのは、卓卓くんを意識しているから、というのは絶対にある。
山本 いや、僕もそうだよ。やっぱり、あのキラキラ感というのは凄いと思う。俳優の艶やかさ、エロスみたいなものが舞台上にさらされる時に、本当に俳優たちは幸せだなーって思う。三浦くんとやってて幸せなんだよーと思って悔しい。僕もそれくらい人を幸せにしたい(笑)。
三浦 でも、オレは(福原)冠くんとか大橋(一輝)くんとか、範宙の俳優にオファーしてるけど、卓卓くんは全然ロロの俳優を使ってくれない。
山本 いやいやいや(笑)。
三浦 オレが大橋くんに出てもらいたいと思ったのは、『さよなら日本-瞑想のまま眠りたい-』(13年)の時で。劇団でずっと一緒にやってきた俳優に何か役を付けるという時に、大橋くんの使い方に対してオレはすごくシンパシーを感じたの。卓卓くんは、大橋くんが演技する時の直情性を残しつつ、YouTubeを通してメタ化することで、「こいつ、バカじゃない?」と観客に思わせる枠組みをつくって、大橋くんを立たせていた。それは劇団の俳優に対する愛情の持ち方として、すごくわかると思った。それで、オレは俳優の直情性自体を舞台に上げる作品をつくっているのかなあと思った時に、大橋くんにオファーしようと思ったんだよね。
範宙遊泳『さよなら日本-瞑想のまま眠りたい-』2013年 撮影:amemiya yukitaka
山本 たぶん、俳優に対して求めるものが三浦くんと僕は違うんだよ。三浦くんは、俳優の持っている肉感とか色気とか、「ある」ものを最大限に引き出そうするタイプじゃん。それは僕が外から見ると、俳優にとって本当に幸せなことだと思うんだけど、僕の場合は「無い」ものが知りたくなる。例えば大橋くんだったら、「バカにされる」とか「イタい」とか、そういうものを引き出したくなるんだよね。その人の服を脱がすみたいな。だから、脱がす価値があるのかってことを考えるし、その人がひた隠しにしていて、絶対に他人に知られちゃいけないと思っているようなことを知りたくてウズウズする。そういう意味でロロの俳優は、俳優として器用だからさ。それは悪いことじゃないし、これからみんなもっと売れていくと思うんだけど。
──こうしてお話を伺っていると、色々と違いが見えてきますね。
三浦 でも、すごく似ていると思う瞬間もあって。だから、卓卓くんの作品を観た時に、創作の出発点はわかるんだけど、その結果の行き着く所がオレとは違うんだなと思う。それは同世代だからか何なのかはわからないんだけど。
──出発点というのは、作品をつくる動機やテーマみたいなものですか?
三浦 演劇というものに対する距離感や捉え方とか。
──ふたりとも、すごく同時代性のある作品をつくっていると思うんですよ。例えば、範宙の『われらの血がしょうたい』はインターネットをモチーフとして取り上げていましたけど、そのモチーフとの距離感はネットネイティブ世代だからこそ、と感じました。そういった同時代性が、三浦さんの作品だったら個々の固有名詞からも強烈に感じられるんだけど、逆に山本さんは、すごく匿名的な感じがします。
山本 たぶん、僕と三浦くんが近いのは、インプットが似ているところだと思う。そのセンスわかる、みたいな。嫌かもしれないけど、三浦くんの作品、一時、舞城(王太郎)みたいな感じだったじゃん? なぜ三浦くんが舞城にグッとくるのか、その理由はわかるというか。
──三浦さんは高橋源一郎も好きですよね。
三浦 まあ、オレがこれだけ固有名詞を使うのも絶対に高橋源一郎と舞城王太郎の影響があって。
──ネーミングセンスも。
三浦 そうそう、明らかに。
山本 そうだよねえ。やっぱり役名の付け方とか、三浦くんは凝るもんね。すごく鮮烈だったのが、この間の「いつ高」シリーズに出てきた「(逆)おとめ」ってラジオネーム。すごいセンスあると思って。僕もジャンクリスナーだから、わかってんなーコイツと思いながら。でも僕だったら「おとめ」で止めると思うんだよね。僕の場合は、名前にこだわりは無くて、自分の知り合いとか小学校の幼なじみから役名を付けちゃうから。
──『幼女X』と『われらの血がしょうたい』で、同じ役名が出てきましたね。
山本 そうそう。名前は延長して書きますね。
三浦 確かにネーミングは極端に違うね。
──範宙の台本を見ると、役名の代わりに数字が表記されていたりしますし。
山本 最近は名前を入れると、自分でこっ恥ずかしくなるんですよ。だから極力名前は使わない。
三浦 それって、「誰か」を特定したくないということ?
山本 まさにそうだと思う。僕はキャラクターというものから作品をつくらないんだよね。「(逆)おとめ」というキャラクターから入っていくんじゃなくて、その人の内実から入った結果、「(逆)おとめ」になるみたいな。三浦くんとは回路が違うのかな。
三浦 オレは完全に逆。だから、自分がなんでこんなに役名にこだわるのか、自分でもわかんないくらい役名にこだわってる。
山本 たぶん「レッテルを貼る」ということに関しては共通しているんだと思う。そこでのプロセスが違うだけで。僕は名前を決める前に、例えば「貧乏」とか「イタい」とか、先にどんな人かっていうレッテルを貼っていくんだよね。その「レッテルを貼っていく」という行為は、それこそネットネイティブ世代のものかもしれないけど。
ロロ×高校演劇「いつ高」シリーズ『校舎、ナイトクルージング』2016年 撮影:三上ナツコ
範宙遊泳『幼女X』2013年 撮影:amemiya yukitaka
劇団との関係
三浦 最近、共有するものが無い相手と、どうコミュニケーションを取るかということを考えていて、オレが「いつ高」シリーズを始めたのも、そこと関係がある。オレは自分が高校生の時に影響を受けたものに人生を変えられたから、いまの高校生に届くものを書きたいという気持ちがあるんだよ。それから今回の『あなたがいなかった頃の物語と、いなくなってからの物語』で、客演に古屋隆太さんと西田夏奈子さんという40代の人たちを呼んだのも、同世代じゃない、共有できるものが少ない人たちとちゃんと言葉を交わしてつくりたいと思ったから。だから卓卓くんが、そもそも海外で言語の違う人たちとつくっていることが羨ましくて、すごく興味がある。
山本 でも、三浦くんはそれを望んでるの?
三浦 や、わかんないなあ。でもオレも、「同世代だから届く」ということじゃないものを届けたいとは思ってる。卓卓くんは共有したいという意識は?
山本 さっき話していた基本的なスタンスと繋がってくるんだけど、僕は知らないこと、知りえないことが尊いと思ってるんだよ。この発想は無かったとか。そういうことが自分にとって特別なことだと思うの、常に。で、海外に行ったら、まさにそれでしか無いんですよ。言語も文化も違うから直面しちゃうんだよね、自分の「知らない」ってことに。そもそも演劇という同じことをやっているのに、僕の行った国はニューヨーク以外は大体検閲があったの。つくったけど上演できない可能性があるというのは衝撃で、つまり役者に求めていることもそれと同じ。僕の尺度で測れないことを見たい。
範宙遊泳『Gadis X』日本-マレーシア共同制作ver. 2014年
三浦 今のところ、卓卓くんが日本に住んでいる理由は?
山本 それがね、いま、揺らいでるんだ。本当に揺らいでいて、海外にいる時と日本にいる時と、どっちが楽しいかを天秤にかけている自分がいる。だから質問されてドキッとしたけど、別に日本にいる理由ってわかんないと思って。誰かが繋ぎとめてくれない限り。
三浦 劇団とか……。
山本 劇団もそうだし、何か実質的な問題が繋ぎとめてくれない限り、全然僕は海外に行っちゃうかもしれない。
三浦 でもその時に、オレが卓卓くんにシンパシーを感じるのは、その天秤に劇団が乗っかってくることで。卓卓くんは劇団に対してどういうスタンスなのかなって。
山本 たぶん対外的、客観的な印象として、劇団と別れて個人でも活動できると思われているのは僕のほうだと思う。つまり三浦くんのほうが劇団依存だと思われていると思うの。でも実はそうじゃない気がして。僕のほうが劇団じゃないとできないかもしれない。三浦くんは、実はロロを解体しても、自分の興味に従って作品をつくり続けることが、僕よりはできるんじゃないかと思うんだよね。でも僕は、自分のアイデンティティは集団の中でしか見出せないと思ってる。父性原理と母性原理って考え方があってさ、母性原理というのは、要するに協調性、和を重んじる文化。つまり何らかのコミュニティや一昔前の日本のムラ社会だったり、協調の中で和を乱すものは悪だという思想の上に成り立っている原理。父性原理は、それに対して断絶して自立していくという、つまりマッチョイズムな考え方なんだけど、その、ふたつの考え方に分けられるらしい。で、日本が母性原理なのに対して、アメリカは父性原理で成り立っている。まず、そういう下地があって、それは個人にも言えると思ったんだよね。それで三浦くんの場合は、一見、母性原理に基づいているように見えるの。つまりロロという劇団の繋がりをすごく求めているように見えるんだけど、その実、三浦くんの作品を観ていると、実は結構マッチョなんじゃないか、というのが僕の見解。三浦くんの作品世界って結構剛胆じゃん。だから断絶していくということが、実は三浦くんが本質的に持っている能力として、とても高いんじゃないかと思う。でも求めているものは母性なんじゃないかって。僕はたぶん逆で、本質は母性なんだけどマッチョにすごく憧れがあるから、アメリカにも憧れてるんだよ。三浦くん、お母さんのこと、すごい好きじゃん?
三浦 そうだね。
山本 僕もお母さんのことは好きだけど、でも、そうじゃないんだよね。自分がお母さんなんだよ。だから幼女の話が書ける、胎内の話が書ける。だけど三浦くんはもしロロと離れても、意外とひとりでやっていけるんじゃないかと思ってる。別に三浦くんがロロを切り離せばいいなんてことは全然思っていなくて、三浦くんはロロでやっていくべきなんだよ。そのほうが面白い作品をつくれると思うんだけど、本質は母性なんじゃなくて、憧れや求めるものが母性なんだと思う。
三浦 うーん……結局、オレは自分のこだわりを捨てられないからなあ。俳優に相談するくせに、俳優が言ってくれたことを採用することが少ないんだよ。
山本 それ、ちょー父性原理じゃん!
三浦 そうそう(笑)。だからオレ、FAIFAIとか、みんなでつくるというやり方にすごく憧れているんだけど、そのくせにみんなが言ってくれることには聞く耳を持てていない……。最近の稽古で俳優たちが辛抱して、待ってくれているのはとてもありがたいと思っていて。そういうところがあるから、とにかく俳優は俳優に専念してほしくて、演技以外はオレが自分でやりたいんだ……ということに、この1、2年で気づいた。そう思ったことも「いつ高」シリーズを始めたことに関係してる。それは、やっぱり劇団を守りたいから。たぶん卓卓くんが言ったように、オレはロロの本公演では父性的な面が強いんだよ。でも、それだけをやっていたら続かない。オレにずっと振り回されるだけじゃ、みんなも疲弊するし、もっと俳優の欲望とオレの欲望が同じになる場所をつくらなきゃメンバーがやめちゃうと思ったから、「いつ高」シリーズを始めたという部分はある。
山本 三浦くんは劇団を解散しても演劇できる?
三浦 できないと思う。
山本 僕はできると思っちゃってるんですよ。コミュニティからの自立というものにずっと憧れているから。でも実際に解散した時にできるかどうかは、たぶん三浦くんのほうができるんだと思う。
三浦 卓卓くんはそう言うけど、劇団を解散するとか、誰かがやめるみたいなことって、どのくらい嫌なの?
山本 僕は一度経験してるんだよね。学生時代に範宙を始めて、2009年に旗揚げの劇団員全員、就職してやめてる。その時からみんなにも言ってたの。自立してくれって。別にずっと範宙にしがみつかなくていいって。でも本心は母性で成り立っているから、「やめないでっ」と思ってたわけ(笑)。だから前提として、やめる者はしょうがないというのは刷り込まれてる。そこは、たぶん三浦くんとは違うのかな。
「いつ高」シリーズ『いつだって窓際であたしたち』2015年 撮影:三上ナツコ
イラスト:西村ツチカ/「いつ高」シリーズメインビジュアル・上演台本挿絵
場所が要請する身体
──ふたりの基本的なスタンスの違いや、劇団に対する考え方は伺えたので、具体的な作品づくりにおいて、いま何を志向しているのかも訊きたいです。
山本 僕、フォーマット至上主義だったの。フォーマットというのは、つまり範囲や形式。そこからいまは、ある特定の場所が、自分を導びくという考えにとりつかれているんだけど、例えば、ここは居酒屋で、この場所だからできる話というのが絶対に人間にはある、というのが基本概念。演劇の中で、それは絶対に演技に影響すると思っていて。例えばプールサイドで何かを語るのと、部屋の中で語るのとでは、声の音質も変わるじゃん。それって、パソコンの中にも置き換えられると思っていて。いま僕はMacを使っていて、Mac特有のフォーマットで何か書いたりしているんだけど、例えばWindowsを使っていたら、全然言葉が違っていたんじゃないかと思う。つまり「場所」が第一にあって、それに自分たちが規定される、というのが僕の演出論の、いま発見していることなんですね。それは身体に置き換えてみても、同じなんですよ。例えばチェルフィッチュ的な動きをしようとした時に、その動きが自分の中に無い場合、無理しなきゃいけなくなるわけじゃないですか。その時に嘘だって思うの、観客として。それはチェルフィッチュの真似じゃんって。だから人には自分の持っている身体の範囲があって、そこで成り立っている、というのが僕が思う基本のこと。それが身体の幅。じゃあ、僕らが何をしなくちゃいけないかと言うと、まずは自分の身体の幅を知りましょうと。例えば走る速度で言えば、100メートルを10秒切れないとか、みんな個々に違うわけじゃないですか。それが、その人の幅だと思うんですよ。そのあとにすべきことが、11秒を10秒にする努力。無茶せずに身体の稼働域を押し広げていく。それが僕が俳優に説くこと。
三浦 場所が要請する身体ということで言うと、ネットが要請する身体とネットとの関係性は、どういうふうに考える?
山本 『われらの血がしょうたい』で一番最初に埜本幸良が出てきてクルクルまわってるじゃん? あれって、オレの中ではクリックなんだよね。Macの時計がまわってるイメージとか。観た人たちにとっては場所が規定されていなくて、抽象的なものとして映ると思うんだけど、僕の中ではすごく具体的で、あれはサイバー空間。幸良くんはずっと検索しているんです。本人にもそれは言ってないんだけどね(笑)。例えばそういうこと。だからネットであろうがなかろうが、場が身体にもたらす規定、要請というのは自分の主軸にある。そういうものに対して、ピーター・ブルックは一昔前に、「想像力」みたいな言葉を使ったんだけど、僕の中では想像力だけの話じゃなくて……経験。その人が自分の幅を知っていく、みたいな経験がすごく重要になっていく。
──山本さんの作品には、人間でないものが語る視点も多いと思うのですが、それも場所と関係がありますか?
山本 ありますね。だから椅子が要請する身体というのも絶対にあると思うし。「あなたは椅子役です」となった時に、人間のように饒舌な身体ということはありえなくて。例えば『さよなら日本』で幸良くんが蜂をやりましたけど、そうなった時に蜂の幅を人間は越えてはいけない。それはアニミズムでも物質主義みたいなものでもなくて、物質も人間と等価で、人間と同じように幅があると思って、そういう役を俳優に当てているんですよね。
範宙遊泳『さよなら日本-瞑想のまま眠りたい-』2013年 撮影:amemiya yukitaka
互いの存在、パートナー、好きなもの
──なかなか本質的な話をしてくれていますね。
山本 こんな話しませんよ、今後も(笑)。でも、それは僕と三浦くんが深いところで交流しているからですよ。だから対談相手が三浦くんじゃなかったら、こんな話までしない。
三浦 そうだね。だから本当に腹を割って話せるなって。綺麗ごとにしたくないから言い方がすごく難しいんだけど、同世代に卓卓くんがいることは本当に大きい。
山本 僕も三浦くんじゃないと、っていうのはあるよ。同世代が誰でもいいわけじゃないじゃん。その話は、このあいだ僕の唯一の親友ともしたんだけど。三浦くん、親友って呼べる人いる?
三浦 うーん……地元にふたりとかかなあ。
山本 ふたりいるならいいじゃん(笑)。そういう意味で言うと、僕は親友、友達、仲間を完全に分けているんですよ。で、友達はひとりもいない。
──劇団員は仲間?
山本 そうなんですよ。僕は大体の人たちを母性原理で自分の内側に取り込んできちゃったから。だから劇団の人たちは全員が僕の仲間なんだけど、友達じゃない。まして親友でもない。だから特別な仲間の最たるもの、仲間、劇作家、演出家って、ひとつずつ検索ワードが増えていくなかでのトップが三浦くん。そういう意味では、かなり大きい。
三浦 嬉しいなあ。オレもここ1、2年くらいで本当に卓卓くんの存在の大きさを感じる。卓卓くんがめっちゃ海外に行ってるぞ、と思った時に、オレは海外から呼ばれないから、じゃあ同世代だけじゃない、日本のサブカル層に届くものをつくりたいって思ったし。卓卓くんがいなかったら、高校生に向けた作品をつくるのも、もっと遅くなっていた可能性はあると思う。それによって自分にもフィードバックがあるし。
──どんなフィードバックですか?
三浦 「いつ高」は俳優が担えることを多くできる作品にしようと思って、そういうことをロロとしてやれる場をつくったから、逆に「これはさせてくれ!」ということを本公演では強めに言えたりする。でも自分でもよくわかんないんですよ、なんでこんなに劇団を存続したいのか。卓卓くんはすごく単純に、なんで劇団をやってるの?
山本 本当に単純に? そこもさっきの話ですよ、母性。人がやっぱり好きなんだよ、結局。自分の根本的なものとして、人といることが実はすごく重要だと思っていて。それで劇団員には常々言ってるんだけど、僕は別に彼らの今には何もかけていない、成長性にしかかけていない。だから早く60歳とか70歳とかになりたいって言ってるんだけど、そこで彼らがどうなっているのか、どういう「息子」に育っているのかが僕の燃料なんですよね。だから劇団というものにしがみついているのは、そういうことなのかなあと思うんだけど。
──1年ほど前に山本さんにインタビューした時は、人と人との関係に絶望も越えて、もはや諦めてるって言ってましたよね?
山本 言ってました言ってました、覚えてます(笑)。
──あそこからは抜け出したってことですね。
山本 抜けましたねえ。
三浦 へえ~。
山本 底をついたんですよ。それも「幅」の話で、僕のいける幅の一番下まで行ったんです。だから、上を目指すしかなかった。まだ過渡期なんだけど(笑)。僕は、僕の範囲を自分の基準では線引きできなくて、それを教えてくれるのは妻だったりするんですよ。一番最高も一番最悪もパートナーじゃなきゃ線引きできないと思っていて、それを言う人が要るから僕は結婚した。ダリとガラの夫婦って、ガラのほうがダリより先に死んじゃうんだよね。ガラは自由奔放な人で性に対してもオープンだったんだけど、そんなガラに実はダリのほうがすごく入れ込んでいた。だからガラが死んだ時にダリは断筆するんですよ。「僕は人生の舵を失った」って。も~~そういうのとか、すっげー良い言葉だと思って、憧れがある(笑)。そこでオレの舵取りをしてくれるのが誰かと言えば、どうやらそれは……みたいな(笑)。だから、みんなもそういう人と結婚したらいいと思うよ。
──素晴らしいですね(笑)。三浦さんにも彼女ができましたけど、それは創作に何か影響を与えていますか?
三浦 すごくある! 本当にいろんなことを知ったから。オレは、ちゃんと付き合う女の人って今の彼女が初めてだから、本当にみんなが思っている以上に、普通のことがオレにとっては驚きの連続なんですよ。だから、わからないことをyahoo知恵袋で調べたりして……。
──(笑)。
山本 そこが三浦くんのモテるところだね(笑)。
三浦 いや、モテないよ!
山本 でも三浦くんは彼女ができてからのほうが作品が面白くなってるよね。
三浦 いろんな人から言われる。
──もし三浦さんに彼女ができたら、今までの満たされない恋のパワーから生まれるような、爆発力のある物語は見られなくなるのかなあと思っていたんですけど、相変わらず面白くて。そういう三浦さんの良さは失われず、新たなものも見えてきました。
三浦 高校の時の親友が話していたことなんだけど、恋愛というのは始めた時からがスタートで、普通の人は中学、高校から恋愛1歳、2歳と年を重ねていくと。でもオレは20歳を越えて初めての恋愛をしたから、そこからが1歳で、オレはいま中高生と同じ段階なの。そのレベルの恋愛をしてる(笑)。
山本 だから、モテるんだよ(笑)。
三浦 だからモテてないよ! ところで卓卓くんって映画は好きだけど、自分の作品に映画のプロットパターンは持ってこないよね。
山本 絶対に持ってこない。
三浦 オレは絶対に持ってくるんだよ。例えば『ハンサムな大悟』(15年)だったら、「一代記」ってジャンルがあるじゃん。そのプロットパターンを分析して、それをベースに作品をつくるんだけど、卓卓くんはまったく無いよね。
山本 絶対に持ってこない。それはオレが頑なに批評精神で動いているからだと思う。例えば『パルプ・フィクション』って演劇人にかなり衝撃を与えた作品だと思うの。
──映画好きにも衝撃を与えましたよ。
山本 いや、そうなんだけど、演劇人は殊更に「出し抜かれた!」と思ったはず。あの時間軸の描き方には、やられたと思った人が多いはずなんですよ。だからこそ、そこは一番参考にしちゃダメでしょ、って思う。
三浦 タランティーノはいいよねえ。
山本 最高ですよ、会いたい。僕、会いたい人間リストというのがあって、タランティーノは入ってる。でも、一番好きな監督はポール・トーマス・アンダーソンになっちゃうなあ。天才ですよ。凄すぎて悔しくて、泣きたくなる。三浦くんはいないの、そういう人。
三浦 オレもいっぱいいるよ。
山本 オレはその最たる人がポール・トーマス・アンダーソンって言ってるんだよ。
三浦 じゃあ、舞城王太郎かなあ。
山本 舞城の中で一番好きな作品は?
三浦 いや、ちょー難しいよ……。
山本 いや、そこを聞きたい。オレは好きな作家に対してはあるよ。
三浦 でも……『好き好き大好き超愛してる。』かなあ。
山本 そこかあ……オレが一番入り込めなかったヤツだぁ。そこでオレと線引かれちゃうなあと思う。でも、わかるよ。
三浦 やっぱり自分の書いているものを思うと、一番影響を受けているのは、あの時期の舞城だろうなって。ロロ『ハンサムな大悟』2015年 撮影:朝岡英輔
「いつ高」シリーズについて
山本 酔ってきたから言うけどさ、オレ、ぶっちゃけて言うと、「いつ高」に賛同できなかったわけ。三浦くんには、もっともっとリスクをおかして、やりたいことをやってもらうほうが、オレは三浦くんに色気を感じる。でも、あれは迎合じゃん、どちらかと言うと。作品としての出来は本当に素晴らしかったと思うし、演劇界に対するプレゼンテーションも、うまくいっていると思う。でもうまくいっているからこそ、リスク全然おかしてなくない? って思って。オレはリスクばっかおかしてるのに。
三浦 言ってることは、すごくわかる。でも、オレは情報処理を上手くできるようになりたいんだよ。
山本 それは言ってたね。
三浦 うん。だから、オレはいま、すっっごく上手くなりたいということが目標としてある。で、今の卓卓くんが言ってくれたことって、上手さを目的とすることに何があるんだ、ということだと思うんだけど、でもオレは上手さを知らなかったから、いま、それを知りたいんだと思う。……「いつ高」、評判良かったんだよ。
山本 でしょう。めっちゃいいでしょう。
三浦 良かった。で、これまで話がこなかった業界の人から話しかけられたりして……落ち込んだ。じゃあ、ロロの本公演は? って。だから卓卓くんが言ったことは鋭くて、いまオレが悩んでいることの本質を突いている。え? オレ、「いつ高」みたいなことをずっと続けていったほうがいいの? って思うからさ。オレ、「いつ高」シリーズを始める時に、商業的に通用するものをつくりたいという気持ちがあったんだよ。劇団を続けていくためにはお金が要るから。
山本 それは、観ててすごく伝わったよ。
三浦 もちろん「いつ高」はめちゃくちゃ愛してるし、「いつ高」だからやりたい野望、目指したい目標もある。でもオレにとっては、本公演のフルスケールの作品がすごく大事。
山本 だからこそ、オレが三浦くんの反対勢力の極北にいたいと思ってるんだよ。そういう刺激の仕方でありたい。三浦くんにも、オレが本当にこれから先に、どうしようもなくマニアックなことをやりだした時に「そうじゃねえ!」って言ってもらうことが、すごく楽しみ。
三浦 でも卓卓くんは自分の興味に、マックスで走りはしないと思うんだよ。そもそもの出発点で、「自分100」ということにはならないと思う。そこに関してオレはシンパシーを感じる。
山本 そこに関しては、オレも三浦くんを好きでいられるポイント。三浦くんが自分を常に疑っているところが、オレも参考にできる部分なわけですよ。
三浦 プロデュース公演が流行ったあと、その反動でオレや卓卓くんは劇団という形式にこだわっていると思うから、そこを考える人が、オレだけじゃなく一緒にいると思うと心強いし、綺麗ごとじゃないけど、オレは下の世代に興味があるから、こういうやり方があるんだぞ、ってことは……
山本 示していきたいね。
三浦 そうそう。
『あなたがいなかった頃の物語と、いなくなってからの物語』/ふたりが請け負うもの
山本 色々話したけど、三浦くんの新作の話を全然してないね(笑)。しようか。
──ですね、しましょう。『あなたがいなかった頃の物語と、いなくなってからの物語』というタイトルも、示唆的で気になりますね。
三浦 演劇をやる人たちって、「記憶」や「残る」ということに、なぜかすごく興味がある。オレもなぜかはわからないけど興味があって。でも卓卓くんがそれをアップデートして「なくなる」ということをやった時に、すごく腑に落ちた。オレが高校まで住んでいたのは女川という場所で、だからオレにもその感覚はすごくあるんですよ。オレが住んでいたアパートがあって、震災の時にアパートを堺にして、陸側は残り海側はなくなってしまったから。それで震災直後に、そこを辿っていったら、陸側は思い出せるんだけど、海側のほうを思い出せなくなっていて。その時に、記憶というのはオレの中にあるんじゃなくて「場所」にあって、場所がなくなった時点で、オレの記憶はなくなるんだと思った。
山本 そうなんだよ。
三浦 だから今回はそういう話になると思う。オレが住んでいた女川が、いま海の見える街にしたいということで、防波堤をつくるんじゃなくて、山を切り崩して土地自体の高さを上げているわけ。で、女川駅も復興したんだけど、すごくコンセプチュアルなんですよ。新作を書く前に久々に女川に帰ったんですけど、女川駅って二階建てなんです。そこから街並を見下ろす造りになっていて、女川駅から真っすぐに道が伸びて海に繋がっている。そこにお店も並んでいて。じゃあ反対側に何があるのかと言えば、お墓なんですよ。だから駅の片方から見下ろすと海が見えて、もう片方から見下ろすとお墓が見える。これは駅をつくった人が確実にコンセプチュアルにつくっているんだけど、オレは、その物語の作り方は怖かったんだよね。オレは女川で育って、女川の友達のことも思うし、物語も大事だと思う。だからオレは今回の話で物語を受け継ぐことで「残っていく」ということをやろうと思っている。
山本 海ってこれから生まれていく場所で、お墓ってこれから閉じていく場所でしょう? そのギャップの中に自分がさらされるのがどれだけのことか、というのはあると思う。オレ、震災後一番最初に行った東北の場所が女川なんだよ。本当にバスもなくて、帰りはヒッチハイクで帰ったんだけど、行かないとわかんないと思ったから。見ると違うし体験すると全然違うわけじゃないですか。だから熊本の震災では、一回も熊本に関することをつぶやきたくないと思ったんですよ。それは女川は自分の目で見て知ったけど、熊本はまだ自分の目で見ていなくて。何より、その時にシンガポールでWSをやっていたから、その時の「揺れ」を共有すらしていなくて。
三浦 わかるよ、それ。でもその一方で、卓卓くんが社会的なことを発言するのはダサくないって言っていたのもオレの中では大きかったの。それを聞いた時に、オレはサブカルでいようと思った。オレ、この前初めて海外旅行でアメリカに行ったんだけど、日本以外のことが本当に知識として何も無いの。
山本 南米文学とか大好きなのにね(笑)。
三浦 そうそう、文学は好きなんだけど(笑)。でもその時に、やっぱり日本のサブカルが好きだということに立ち返って。オレは2ちゃんも好きだし、2ちゃんのガラパゴス的だからこそ生まれてきたものも、いまのアイドルの現象も好きで、それで作品をつくっている。そのことに責任を持とうと思ったのは、卓卓くんの言葉にハッとさせられたから。同世代でそういうことを言う人がいるなら、じゃあオレはドメスティックにいこうと。だから、ここ1、2年くらいでライバルだって自覚的に思えるようになったのは、そういうこと。
山本 それ、めちゃめちゃいい話だなあ(笑)。じゃあ、締めくくりとして最後に訊きたいんだけどさ、もし三浦くんがこの先に文章を書いていって、例えば小説界からお声がかかった時に、小説と演劇、どっちを選ぶの?
三浦 えー…二択? それはすごく難しい……。でも、ここで岸田賞に立ち返ると、今回オレは初めて最終候補にノミネートしてもらったんだけど、実は戯曲自体が持つ文学性みたいなことは全然考えてなかったんだよ。本当に恥ずかしくなるくらい、上演成果にだけ興味があった。だから戯曲だけ読んで、その戯曲に力があるのか、ということを考えると、オレはもう戯曲を書けない。それを考える機会をもらえただけでも良かったと思うし、『ハンサムな大悟』が候補に挙がらなかったら……正直落ち込んだと思う(笑)。だけど、稽古での口伝ても増えてるし、自分だけの言葉で書くことの興味というのは、いま、すごく悩んでいる。卓卓くんは、自分だけの言葉っていうのはどう?
山本 僕は自分の書く言葉がすべてだと思っちゃってる。俳優が発した言葉で自分が脚本を書くということは本当に1回も無い。だって俳優は別に作家ではないわけだから。やっぱり俳優に書き言葉を任せるつもりはない。
三浦 うん、そうだね。
山本 うん。ということで、そろそろ閉店かな。今日は色々話せて楽しかった。オレが三浦くんに言ってないことも、たぶん三浦くんがオレに言ってないこともいっぱいあると思うけど、仲間とか親友とか、それぞれの関係がある中で、今日、この場所で、同年代の、劇作家の、演出家の、仲間の、2016年の、と検索ワードが増えていく中での今日できる最大の話が三浦くんとできて良かったと思う。
三浦 本当にそう思う。
山本 オレ、三浦くんに会えて良かったな~(笑)。
三浦 オレこそだよ(照)。
公演情報
ロロ Vol.12 あなたがいなかった頃の物語と、いなくなってからの物語
2016年5月20日(金)~19日(日) 東京芸術劇場シアターイースト
【脚本・演出】三浦直之
【出演】板橋駿谷、亀島一徳、篠崎大悟、島田桃子、望月綾乃、森本華(以上ロロ)、伊東沙保、西田夏奈子、古屋隆太(サンプル/青年団)
【前売券】一般-3,500円/学生-3,000円/高校生-1,000円(枚数限定・東京芸術劇場ボックスオフィスにて前売のみ) /中学生以下-1,000円(メール llo88oll.yoyaku@gmail.com にて前売のみお申し込み)
プロフィール
撮影:三上ナツコ
三浦直之/みうら・なおゆき
ロロ主宰。劇作家。演出家。1987年10月29日生まれ。宮城県出身。2009年、日本大学藝術学部演劇学科劇作コース在学中に、処女作『家族のこと、その他たくさんのこと』が王子小劇場「筆に覚えあり戯曲募集」に入選。 同年、主宰としてロロを立ち上げ、全作品の脚本・演出を担当する。自身の摂取してきた様々なカルチャーへの純粋な思いをパッチワークのように紡ぎ合わせ、様々な「出会い」の瞬間を物語化している。2013年、初監督・脚本映画『ダンスナンバー 時をかける少女』がMOOSIC LAB 2013 準グランプリなど3冠を達成したほか、ドラマ脚本提供、MV監督、ワークショップ講師など演劇の枠にとらわれず幅広く活動。2015年より、高校生に捧げる「いつ高シリーズ」を始動。高校演劇のルールにのっとった60分の連作群像劇を上演し、戯曲の無料公開、高校生以下観劇・戯曲使用無料など、高校演劇の活性化を目指している。代表作は『ロミオとジュリエットのこどもたち』『LOVE02』『朝日を抱きしめてトゥナイト』など。『ハンサムな大悟』で第60回岸田國士戯曲賞最終候補作品ノミネート。
山本卓卓/やまもと・すぐる
範宙遊泳主宰。劇作家・演出家。1987年生まれ。山梨県出身。2007年に範宙遊泳を旗揚げし、すべての作品の作・演出を務める。舞台上に投写した文字・写真・映像・色・光・影などの要素と俳優を組み合わせた独自の演出と、観客の倫理観を揺さぶる強度ある脚本で、日本国内のみならずアジア諸国からも注目を集め、マレーシア、タイ、インドのアーティストと共同制作を行うなど、創作の場をアジアまで広げている。2012年より、一人の人間に焦点を当て生い立ちから掘り下げて作品化するソロプロジェクト「ドキュントメント」を始動し、TPAM in Yokohama 2016 では『となり街の知らない踊り子』を英語字幕付きで上演し好評を博した。『幼女X』でBangkok Theatre Festival 2014 Best Original Script(最優秀脚本賞)とBest Play(最優秀作品賞)を受賞。『うまれてないからまだしねない』で第59回岸田國士戯曲賞最終候補ノミネート。現在、シンガポールの劇団ネセサリーステージと3年計画のコラボレーションを進行中。
範宙遊泳 http://www.hanchuyuei.com/