対談・インタビュー

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ティーンエイジャーにささぐ、自由への脱走入門 #4 GUESUT 志磨遼平(ドレスコーズ)

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対談・インタビュー
様々なジャンルのアーティストへ長尾謙一郎がインタビューする「ティーンエイジャーにささぐ、自由への脱走入門」。連載4回目となる今回以降、連載の場をイラスト誌「季刊エス」からWEBへと移し、更新頻度も上げてお届けししていく予定です。 そんなWEB版・初回ゲストとしてご登場いただくのは、バンド「ドレスコーズ」を率いる作詞作曲家であり、文筆家でもある志磨遼平氏。9月に行われた、「長尾謙一郎『クリームソーダシティ』完結記念トークイベント"代官山伝説“」のゲストとして、志磨氏と初対面を遂げた長尾氏は、その人間性やアーティストとしての姿勢に感銘を受け、すっかり意気投合したとのこと。 というわけで、今回のインタビューでは、志磨氏がどのような少年期を過ごし、どのようにしてミュージシャンになったのか。また、音楽に限らず好きだったものや、実は幼い頃から描いている絵のこと、家族との関係、そして今、思うことなどを、ざっくばらんに、たっぷりと伺っていきます。 長尾氏ディレクションの撮り下おろし写真とともに、お楽しみください。

●協力:美学校
●撮影:皆藤将
 


ひとりっことして育った気づかい屋な少年期

長尾 まず志磨さんの子供の頃の話を聞きたいな。少年時代は、どんな感じの子でした?
志磨 ひとりっこだったので、ひとりで遊んでましたね。超合金の戦隊ものの玩具が好きで。でも友達がいなかったわけではなくて。友達ともうちの庭でよく遊んでました。自分の家は中流家庭というか、当時わりと裕福なほうだったので、珍しい玩具がたくさんあったんですよ。その玩具でみんなが、わーっと遊ぶのを嫌だなあ、と思いながら……(笑)。
長尾 なんで?
志磨 いや、買ってもらったばかりの玩具なのに、子供なんてデリカシーが無いから、先にガンガン遊ばれるんですよ。それで、僕のやのになあ……と思いながらも、「いいよ、いいよ」って、めちゃくちゃ気をつかってたんです。で、友達が飽きるまで待つという。でも、早く帰ってくれへんかな、と思ってた記憶があって。そういう性格は今も変わってないんですよね。
長尾 それって、一言で言うとどんな性格?
志磨 なんでしょうねえ。例えば、今もお酒を飲んでる時に、「そろそろ、行こうか」って言えないんですよ。「あと、一杯!」って言われると「いいね!」って言っちゃう。
長尾 えっ! さらりと一杯で「オレ、帰るわ」で抜けそうなのに。
志磨 いや、全然。わりと、そういう気のつかい方はバンドでもあって、自分が「こうしたい!」と思っていても、「かえたほうがいいよ」と言われると「そうかもね!」と言っちゃう。それって、たぶん、ひとりっこの性質なんでしょうね。あまり、うまく人とぶつかってこなかったんです。



最初に褒められたのは“絵”

長尾 ひとりっこって、僕はわがままなイメージがあるから、意外。
志磨 お兄ちゃんに怒られたり、弟を怒ったりする経験が無かったから、“怒る”という感情が欠落してまして。
長尾 親に怒られたことは?
志磨 人並みにはあると思います……でも、もっと、みんな怒られてるのかな? わりと可愛がられて育った気はしますね。
長尾 わりと肯定されてきた?
志磨 そうですね。
長尾 でも、そういう人じゃないと、なかなかステージには立てないと思う。
志磨 でも、最初に親に褒められたのは絵なんですよ。
長尾 絵が得意だった?
志磨 得意だった。
長尾 それは、いつ頃?
志磨 幼稚園の頃ですね。絵画教室に通ったりして、ずっと絵を描いてた。スポーツはダメで、漫画が好きで。絵を描くとか、国語の授業の作文とか、そういうのを褒められるもんで、なんとなく自分はそういう場で力を発揮できる人材なのかな、という意識が……。
長尾 そういう意識が芽生えたのは何歳くらいの頃?
志磨 小学校低学年くらいですね。
長尾 ちなみに、何の絵を描いてた?
志磨 でも、学校の課題ですよ。運動会の絵とか、ちょっとした風景を写生するとか。中学生くらいでデッサンみたいなこともしたり。
長尾 じゃあ、結構早い段階で「オレは “表現すること” が得意なんだ!」と、わかってきたわけですね。
志磨 そうですね。ただ、「やったー、こういう表現の才能があって良かったー!」となるのは、もっとずっと後ですけど。
長尾 子供の時は、なかなか気づけないよね。
志磨 そうそう。スポーツができたり面白いことを言えるほうが、学校でのヒエラルキーは上じゃないですか。絵を描いたり作文を書いたりするのは三の線というか。
長尾 具体的に、どんな絵を描いていたか思い出せます?
志磨 自分の気に入っていたものは、今、いくつか思い出せるんですけど……中学校の課題で、最終的にマグリットみたいな絵を描いたことがあるんですよ。空にボコッと人形が浮かんでいる絵。それは美術の先生にえらく褒められて、美術教員室にも飾ってもらいました。教室の窓から見える現実の風景ではなくて、自覚的に “創作” という意識で描いた最初の絵なので覚えてますね。
長尾 空はシュルレアリスムの基本ですからね。もう既に、表現の世界に導かれてますね。
志磨 でも今、久しぶりに思い出しましたよ。


ヒット曲や昭和歌謡を聴きながらデカダンな趣味に傾倒

長尾 じゃあ、音楽はいつから?
志磨 音楽は最初は聴く専門で、小学校から普通の歌謡曲や、その当時のヒット曲を聴いてましたね。僕が一番最初に好きになったのは槇原敬之さんです。
長尾 え!? 意外ですね!
志磨 でも、ヒットしている曲はわりとなんでも好きでした。スピッツとか、ミスチルとか、中学生くらいだとザ・イエロー・モンキー。あとは、小さい時は親が好きで流すものを聴いていて、ビートルズ、浅川マキさん、ジュリー(沢田研二)、ショーケン(萩原健一)とか。
長尾 ご両親もロックが好きだった?
志磨 いや……どちらかと言うと、アンダーグラウンドというか、ちょっとデカダンなものが好きなんですよ。
長尾 それは音楽に限らず?
志磨 本が一番だったかな。小さい頃は、親の本を読んでたんですよ。1冊読み終わると次の課題図書が出てくるような感じで。小学校の頃は江戸川乱歩の少年探偵団シリーズ、中学生くらいになると乱歩でも怪奇ものの短編とか。衝撃だったのは夢野久作の『ドグラ・マグラ』ですね。
長尾 出た。もう、それはワイルドサイドを歩くしかないね(笑)。
志磨 そうなんですよ。英才教育が(笑)。それで、幼稚園くらいの頃に家にあった漫画が『デビルマン』、『パタリロ!』、日野日出志に楳図かずおさん、というラインナップ。ちょっと物心がついてから「親のセレクト、ヤバいな……」と。ところが数年前、親に「なんで、あんな漫画読ませたん?」と訊いたら、「いや、おまえが読みたいって言うから買ったんやんか」と言われたんですよ。どうも自分で選んでたみたいなんですね。だからインタビューなどで「親の影響で、デカダンだアングラだ、と育てられちゃったんです」と話していたんですけど、もしかするとそうではなくて、人間の趣味嗜好というのは、意外と先天的なものかもしれないな、と思うようになりました。



ピアニカで音をとった初めての作曲

長尾 面白いなあ。そういう少年時代を経て、実際に自分で音楽をつくりだしたのは?
志磨 中3くらいですね。
長尾 ギターですか?
志磨 いや、最初はギターも弾けなくて。ある日、ポンと曲が浮かんだので、忘れないようにピアニカで音をとって、メロディだけ書いたんです。家にある楽器が幼稚園時代のピアニカしかなくて、録音できるものもなくて。それくらい音楽は縁がなかったんですよ。ちょっと良いのが浮かんで、もったいないから覚えとこう、くらいの感じでした。
長尾 Aメロ、Bメロ、サビくらい?
志磨 Aメロ、サビ、くらいな感じだったと思いますね。
長尾 それは、どんな曲だったんですか?
志磨 マイナー調の昭和歌謡みたいなメロディでした。自分では小さい頃に聴いた浅川マキさんみたいな曲かなあと思って、親に聴かせたら、「由紀さおりっぽいけど違うな」と言われて。その、“何にも該当しなかった” ということが「これは、もしかしたら僕のつくった曲かもしれん」という感じで、覚えとこうと思ったんですよ。
長尾 すごい! もう、いきなり中3で道が見えましたね。これで親が「こんなの、××××の真似じゃない! あんたなんて無理無理」なんて言われたらペシャンとなりますけど……見えましたね!
志磨 やっぱり音楽を続けられたのは、周りに褒められたからなんですよね。それまでは、絵が上手くてもそんなに褒められなくて。それは学校の課題の範疇ですから、ガリガリ真面目にやったって友達にはウケないじゃないですか。でも、曲をつくってバンドで披露したら、友達からもずいぶん喝采を受けまして。それでやっと、「わー、やったー!」と、自分の能力を喜ぶようになったんです。


高校1年の1学期で学校を辞め、音楽の道へ

長尾 でも「この道でいくぞ!」と決定したのは、初めて曲をつくった中3の時ではないよね?
志磨 いや、その頃にプロのバンドマンになろうとは思ったんですよ。でも、世の中3がみんな思うレベルで、ですけどね。もしかしたら、自分は曲がつくれるかもしれんな、と思いまして。
長尾 最初にバンドを組んだのは、いつですか?
志磨 自分のバンドを組んだのは16歳ですかね。高校1年生。でも、バンドを組むよりも先に、僕は高校を辞めちゃうんですよ。僕、高1の1学期しか高校に行ってないんです。
長尾 えっ……!
志磨 でも、まったく不良ではないんです。むしろ、ガリガリ真面目にやるタイプ。だから親はずいぶん心配しましたけど、「いや、僕は音楽をやればいいんじゃないかと思うんだよ」と言って。
長尾 早熟ですね……。でも、ご両親も寛大ですよね。最終的には「いいよいいよ、辞めちゃいなよ」って感じですか?
志磨 いや、親は学校を辞めることには反対してましたけど、もう僕は思い込んでいたというか、その時は辞める以外に無いな、と思っていたんですね。だから、何を言われても「辞める」の一点張りで。
長尾 もう、俺は音楽に夢中なんだよ、学校に行ってる暇はない、と?
志磨 学校にはそんなに興味が無いから、あまり行く気がしないんだと。そんなに嫌々、毎朝ブーブー言いながら行って時間つぶすくらいやったら、もう24時間音楽をやりたい、って。で、ものすごくヤルキはあるので、別にこれはドロップアウトとか道を反れるとかじゃなくて、一直線に行くという感じで捉えてほしい、と言いました。
長尾 そこで「わかった!」と言うところが、志磨さんのご両親の素晴らしいところですね。
志磨 そうですね、結局は認めてくれたので。



夢を成功させるために必要なこと

長尾 ご両親も、どこかで志磨さんをスターにしたいという気持ちがあったんですか?
志磨 父親はありましたね。「父の夢はチチローです」と言ってましたから(笑)。ちょうど当時、イチローのお父さんが “チチロー” として、もてはやされていたので。
長尾 志磨さんのお父さまは、すごくおしゃれな方だったんでしょう?
志磨 服屋をやってたんですよ。だから服には、うるさかったですね。「このシャツはこういうふうに着るんや」とか、古着を買って帰ると「こんな1キロ数百円で仕入れたものに何千円も払って!」とか、いや~な言われ方をしてまして(笑)。
長尾 じゃあ、もうお父さんは、「よし、行け!」って感じだったんですね。
志磨 父親は面白がって見てたと思うんですけど、母親が心配したので、母の尻にしかれるタイプの親父は一応母親の手前、「お母さんに心配かけたらアカンぞー」みたいな感じでしたね。
長尾 なるほどなあ。この連載って、10代で夢を追いたいんだけど、どうしたらいいか悩んでいる子たちに、ひとつの手引きとして読んでほしいな、という思いでやっているんですよ。そういう意味では、志磨さんの10代は夢を追うための環境がバッチリ揃っていたのですね。
志磨 夢を成功させるのに必要なものとして、才能……は、さておき、やっぱり “運” というものがあるじゃないですか。それが、どういう “運” かと言うと、コンテストに優勝するとかじゃなくて、やっぱり周りにただ褒めてくれる人がいるかどうかだと思うんですよ、最初の関門は。そこで親が「アンタ、もうバンドとか言うてんと、勉強しなさい!」みたいな感じだと、困難だと思うんですけど、僕はそういうことを一言も言われたことがなくて。「はー! アンタすごいねえ!」みたいに評価してくれたので。友達も、真面目に音楽の話を聴いてくれる人ばかりだった。
長尾 そういう人間関係は大事だよねえ。人間の能力って個人ではなく、その人が持っている人間関係が重要なんだよね。合点がいった!
志磨 何かをつくるためのテクニックというのは、続けていればなんとかなるじゃないですか。センスも勉強すれば身についたりする。なので、最初の「もしかして、やっぱり才能、ある……?」みたいな気にさせてくれる人がいるかいないかで、だいぶ違うと思いますね。
長尾 実を言うと、僕の家も本当に、何をやっても褒められた。褒めるところなくても褒められた(笑)。
志磨 そうなると、迷いなく進むじゃないですか。
長尾 そうですよね。 “表現する” という時に、一番最初に、自分で、自分がつくったものに価値を与えなきゃいけないんだけど、そこで親に褒められた経験が多いと迷いは少ないですよね。この世界は “良い” と思い込めることが大事ですから。だってステージで「次の曲はあんまり自信ないんで!」とか言われても困る(笑)。
志磨 そうそう(笑)。自分のお客さんからデモ音源をもらうこともあるんですけど、ほとんどの子が「まだクソですけど、よかったら」と言いながら渡してくるんですよ。
長尾 エクスキューズがあるわけね。
志磨 そういうふうに渡されると、なかなか聴かないんですよね。なぜかと言うと、うちにはお金を払って買ったレコードがいっぱいあるから。そっちを先に聴いちゃうんです。でも時々、アホそうなヤツが「これ、マジでヤバいんで!」とか「絶対追いつくんで!」とか言ってくると、やっぱり聴きたくなりますよね。「マジかよ」って。で、その子のことも憶えるし。だから、やっぱり何にしても “自分を評価する” というのは、まず最初のハードルですよね。それを素直にできるか。できない性格の場合は無理やり、矯正してでもしたほうがいいですよね。



自己プロデュースと求める “スター像”

長尾 自己プロデュースもすごく大事じゃないですか。志磨さんの場合は、本当に自分の趣味のまま「これが好きなんだ!」というスタンスで突き進んだのか、あるいは社会の中で自分の存在に何か理屈を通そうと考えていたのか。
志磨 先日、長尾さんとした代官山蔦屋のトークイベントでも近い話がありましたけど、僕は、例えば音楽の曲の仕組みとか、それがどういうコード進行なのか、あるいは、どんな楽器を使っているのか、そういうところに未だに興味が薄いんですよ。そうじゃなくて “像=イメージ” に、むちゃくちゃ興味がある。
長尾 イメージというのは、絵とか写真的なビジュアル?
志磨 全部です。楽曲のもつイメージ、人物のビジュアル、バックボーン、ヒストリー。だから、インタビューを読むのも大好きなんですね。ファッション、発言、思想、その人が聴いてきたものも影響を受けたものも気になるし、どんなふうに雑誌で語り、どういうふうに写真に写り、どうテレビで振る舞うか──。そういう全部を含めて、自分は誰かを好きになってきたんですよ。だからアルバムのジャケットを誰がデザインしているかまで興味があるし、自分も今でもアートワークにえらい口を出す。あのデザイナーとやりたいとか、あれを撮ったカメラマンとやりたいとか、あの記事を書いたライターさんがいいとか。だから自分のセルフプロデュースみたいなものは、たぶん僕の中で何よりも優先順位が高い。曲とかは、もう後回しですね。今だったら、例えばWEBのニュースで自分の記事がどういうふうに出るかまで想像するのが好きなんですよ。
長尾 アーティストの自己プロデュースは大事ですよね。それに志磨さんの活動にはストーリーがありますよね。
志磨 僕は寺山修司さんがすごく好きなんですが、寺山さんの好きなところは、全部をストーリーに仕立て上げるところ。無理やりにでも関連づけて、自分の中で物語を組み立てちゃう。だから僕のやってることも、結局はひとりっこのひとり遊びの延長なんですよね。こういうふうにストーリーが展開するから、じゃあ僕は絶対にインタビューでこう言うな、みたいなものが、きっと中学の頃からずっとあるんです。
長尾 「こういうスターが欲しいんだ!」という像を自分で演じるように?
志磨 そう、まさしくそうでした。こういう振る舞いをすれば僕が夢中になる、という人を演じる。


「毛皮のマリーズ」時代から一貫した音楽との距離感

長尾 ちなみに毛皮のマリーズというのは何個目のバンドなんですか?
志磨 三つ目ですね。
長尾 最初のバンドは、どういう感じでスタートしたんですか?
志磨 自分の周りにいる友達とはじめた感じですね。楽器が弾ける友達を集めて無理やり演奏を頼む、という。ふたつめもそうだし、毛皮のマリーズも、今のドレスコーズもそう。
長尾 そうなんだ。
志磨 そこでやっぱり、自分のつくった曲や、やりたいことに対して一緒に夢中になってくれるヤツとは、「おー、わかってくれるか!」という感じで長く続く。それは、どのバンドでも同じでしたね。
長尾 でも、こうしてお話を伺っていると、最初に絵を描いて褒められたというところから、ずっと絵と音楽が繋がってる感じがする。
志磨 たぶん、差が無いですね。自分の家でひとりでつくって、その時点ですごく満足しているというか。
長尾 そこから、最新アルバム『平凡』、ツアー映像作品の限定版『国家』でやっていることは、ハイアートに昇華された感じがします。すごく考えられている。
志磨 いやいや、恐縮です。
長尾 すごく練り込まれていて、現代美術のようなアプローチでつくられているな、って感じました。でも、そういうミュージシャンって、そんなにいるように思えないんですよね。偶然、社会との関係性の中で理屈が通った、という人は多いかもしれないけど、志磨さんみたいに、社会を見て、意識的に理屈を通すように作品をつくっている人は少ない気がする。
志磨 ありがとうございます。嬉しい……。
長尾 すごくコンセプチュアル。
志磨 それも結局、今まで話してきたようなことが影響していると思いますね。寺山さんだとか好きな漫画家さんの存在が。だから、やっぱり音楽だけを好きだった人とは、ちょっと違って、それは役に立つ時もあれば、コンプレックスになったりもするし、やっぱり理論的に音楽を語る人には、引け目を感じちゃうというか。「ここのC#の音をさー……」とか言われると「えーと、どの音ですか?」ってなる。
長尾 意外とロックの人に楽譜は関係ないんですよ、コードだけで。
志磨 そうですね。
長尾 全然それでいいと思いますけどね。


震災以降の世界とアーティストとしての立ち位置

長尾 ……ちょっと聞きたいのが、3.11以降、社会がわかりやすく変化してきた中で、志磨さんの中で何か変わったことはありますか?
志磨 やっぱり……これは悪いことだとは思わないんですけど、震災以降、 “世界” みたいなものの焦点がはっきりしましたよね。まあ、平和やったら、そんなに焦点は合わないというか、みんな好き勝手やってるんやろなー、って感じじゃないですか。それぞれに目的や生活があって、困っている人もいれば、裕福な人もいるし、まあ、人それぞれ。それが、みんな共通の困難みたいなものにブチ当たったことで、それぞれの立ち位置、イデオロギーが可視化された感じがしますよね。「みんなはこう言ってるけど、僕だけこう思うんはおかしいんかな」とか、「みんな、もっとセンシティブになってるのに僕はダメやな」とか。その逆もあったり。これまで、そんなふうに思ったことは無かったけど、他の人と同じタイミングで同じことを考えられた、ということでしょうね。だから「そんなこと考えるんだね、私も」という感じです(笑)。
長尾 こういうご時世で、じゃあ、志磨さんは “スター” とは、どうあるべきだと考えてますか?
志磨 ちょっと、うっすら答えが出たのは……例えば、社会的なことに興味を示すミュージシャンが、これまで僕はちょっと苦手だったんですよ。今でも、ちょっと苦手な気持ちはある。それなのに、自分もそういうことを考えるようになったので、「気色ワルッ!」と思ったんですね。その、“気色が悪い” と思う部分を吟味して、それを踏まないようにやってるつもりですけど、そうやっていくことで、何が気色悪いのかと思ったら、やっぱり、今起きている問題について、「僕はこう思うから、みんなも考えてくれ! みんなも気づけ! 一緒に良くしていこう!」とか……それは、めっちゃ良いことですよね。良いことなんですが、でも結局のところ、僕は人がたくさんいるのは嫌なんです。つまり、天の邪鬼なんですよ。だから、何か意見に同調を求めたり、あるいは正論を言うとか、もしくは協力して集団をつくるとか、みんなで足並みを揃えるということに、自分としては抵抗がある。もちろん、それは生活していく上では良いことだと思うし、必要だとも思うんです。でも自分の生活は99パーセントが “ものをつくって発表する” ということなので、それに拒否反応が出ちゃうんですよね。つまり僕は、今、この現状で、これまでもこれからも、常にいつもある “今” の、来年の、マジョリティのほうにベットしたい、というだけなんですよ。例えば、「みんな投票に行こう」と最近はよく言うじゃないですか。それは絶対そうなんですけど、これを、もっと、みんなが言うようになったら、その時には僕は投票いかんと家で寝てるヤツのための曲をつくると思うんですよ。そういう「アカンなあ、俺はこんなところで何をしてんねやろう、みんなは投票行ってるのに……」というヤツにシンパシーを感じちゃう。本当はそれじゃダメなのかもしれないけど、そういう、うまく折り合いをつけられない、すごくグレーな感情や存在に共感しちゃうんですね。だから僕は、ちょっと後ろ指さされるようなヤツの側に常にいたいんです。


孤立するための音楽、“ここにいて、ここにいない” 感覚

長尾 志磨さんは、ひとりになりたいんでしょう?
志磨 そう、ひとりになりたい。
長尾 誰かの気持ちを語ったりするけど、絶対に違うぞと。
志磨 そうそう、そうなんですよ。僕はもう完全に、孤立するために音楽を聴いていたから。他の人が聴いてないものを聴きたかったし、他のヤツよりも知っていると思いたかった。周りの人たちに同調できなくてイライラしている時に自分は音楽を聴いてたから、「みんなひとつになろうぜ!」というのは、僕の中にはない。それはしょうがないですね、アレルギーです。
長尾 だから芸術家って、“ここ” に立っているようで、“ここ” にはいたくなくてしょうがないものだと思うんですよ。志磨さんも、ひとりの、ここではない場にいたい、ということでしょう?
志磨 そうです、まさしく。だからお客さんにすら、「すげえわかります、全部わかります!」とか言われると、ムッとします(笑)。そんなこと言われるなら、じゃあ、やめよっかな、って思っちゃう。
長尾 志磨さんは自分の音楽を麻酔薬か興奮剤かって訊かれたら、どっちだと思いますか? どっちかだけでは無いのかもしれないけど。
志磨 どちらかと言うと、僕は麻酔みたいなものが好きだったかなあ。バーンと興奮させて覚醒させて、というふうにもしたいですけど、でも自分はやっぱり、それこそ、“ここにいて、ここにいない” みたいな感覚が小さい時からあったから。小説を読んで、まったく自分とは年齢も時代も国籍も違う主人公の世界にドップリ没入している時が、「ああ、嬉しいなあ、幸せやなあ」という時間だったから。そういうものにばかり自分は惹かれてきたので、自分もそういうものをつくっている気はしますね。
長尾 僕は志磨さんがこれからどんなふうに変わっていくか知りたい。
志磨 やっぱり自分に、誰よりも先に飽きちゃうというのはあって、それは “業” というんでしょうか。でも、そういうのは良いですよね。
長尾 明日は何を考えてるか自分も知らないよ、ってことですよね。
志磨 そうです、そうです。明日も没頭する何かを見つけていられたらいいな、という感じですね。


志磨遼平は “画家” !

長尾 そんな志磨さんが何を信じているのかを知りたい。志磨さんの詩には “神様” とか “悪魔” とかが頻繁に出てくるでしょう?
志磨 ああ、そうですね。僕、多いんですよ。昔よく言ってたのは、“ロックンロール教” 。で、ロックンロール教は多神教なので(笑)、神様がいっぱいいるんです。それを全部崇拝して、ロックンロールの教義と行動原理にのっとって、生きてましたね、特に20代は。
長尾 志磨さん、ピーター・マックスって画家知ってます? あの人がビートルズとかプレスリーとか、ミュージシャンの曼荼羅を描いてるんですよ。志磨さんのロックンロール教の神様たちも、そういうふうに見てみたいなあ。
志磨 あー、それはいいですねえ。
長尾 また絵を描いたらいいんじゃないですか?
志磨 時間があったら今も描いたりはするんですけど、本当に高校で止まっているので……。でも久しぶりに、ちゃんと真面目に描いたりすると、すごく楽しいんですよね。
長尾 ねえ、楽しいですよねえ。
志磨 曲をつくると、わりとすぐ疲れて飽きちゃうんですよ。でも、絵は結構、ずっと描いていられるんですよね。「あ、もう何時間も経ってる」みたいな。
長尾 やっぱり根元にあるのが絵なんでしょうね。画家なんでしょうね、志磨さんは! って、言いきっちゃうのもアレなんですが(笑)。
志磨 そうなんでしょうかね、おこがましいですが(笑)。でも音楽のほうが、まだ勉強中って感じはします。勉強中というか、 自分が求める “絵” を表現したいから、音楽をツールにしてやってるのかも。
長尾 ジョン・レノンもザ・フーも絵を描いてたしね。だから、ロックンロール自体が絵の代替物なのかもしれない。
志磨 確かに。みんな、アートスクール出身ですしね。
長尾 ディランも彫刻やってるもんね。……ということで、そろそろ時間みたいです。まだまだ話したいけど!
志磨 また続きをどこかでぜひ。
長尾 ぜひぜひ!


志磨遼平(しま・りょうへい)/1982年3月6日生まれ。和歌山県出身。毛皮のマリーズのボーカルとして2011年まで活動、翌2012年1月1日にドレスコーズを結成。シングル「Trash」(映画「苦役列車」主題歌)でデビューし、12月に1stアルバム「the dresscodes」を発表。2014年には、2009年からテレビ情報誌「TV Bros.」で連載しているコラム「デッド・イン・ザ・ブックス」をまとめた単行本「少年ジャンク 志磨遼平コラム集2009-2014」出版。2014年、1st E.P.「Hippies E.P.」をもって、ドレスコーズは志磨遼平のソロプロジェクトとなる。その後、LIVE・作品毎にメンバーが変わるという稀有な存在となり、多数のゲストプレイヤーを迎えて4thアルバム「オーディション」を発表。また、2016年には俳優業も開始し、WOWOW 連続ドラマW「グーグーだって猫である2 -good good the fortune cat-」、映画「溺れるナイフ」に出演。2016年フル3DCGアニメ映画「GANTZ:O」主題歌シングル「人間ビデオ」を発表。2017年3月、5th アルバム「平凡」リリース。8月23日、「the dresscodes 2017“meme”TOUR」のツアーファイナルを完全受注生産版『国家』(Blu-ray)と一般市販版『公民』(Blu-ray / DVD)の2形態でリリース。



長尾謙一郎(ながお・けんいちろう)/1972年愛知県生まれ。アーティスト。漫画を中心に映像、ペインティング、アートディレクション、アニメーション、テキスト、音楽など活動は多岐にわたる。主な代表作「クリームソーダシティ」「PUNK」「ギャラクシー銀座」「おしゃれ手帖」、MV「放課後シンパシー」(テンテンコ)「ティティウー」(荒川ケンタウロス)など。最近では映画「山田孝之3D」のアートディレクター、絵本「とんすけくんはももたろう」(小学館)を発表。