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百鬼オペラ「羅生門」 アブシャロム・ポラック インタビュー

対談・インタビュー
9月8日より上演中の百鬼オペラ「羅生門」。本作はイスラエルの演出家ユニット・インバル・ピント&アブシャロム・ポラックが、5年の構想期間を経て挑む新作である。これまでにも、「ヒュドラ」(2007年)、「100万回生きたねこ」(2013、2015年)と、日本での共同制作を重ねてきたふたりが、芥川龍之介の短編「羅生門」「藪の中」「蜘蛛の糸」「鼻」を、独自の解釈のもと、新しくひとつの物語へと紡ぎ上げる。主演は、ミュージカル「100万回生きたねこ」でも共にクリエイションを行った満島ひかりをはじめ、柄本佑、吉沢亮が名を連ねる。ここでは、主に演出を担当するアブシャロム・ポラックに、日本でのクリエイションがスタートする直前の6月末に行ったインタビューを紹介する。

──
まずは百鬼オペラ「羅生門」という、芥川龍之介をテーマとした作品をつくることになった経緯を教えてください。プレスリリースには芥川の作品について、「哲学的で深淵なテーマとユーモアが同時に存在していて、現実と想像の世界が鮮やかに混ざり合っているところが気に入った」と書かれていましたね。
アブシャロム
いくつか提案された題材のなかから芥川を選びましたが、なぜ芥川に決めたのか、ということは今や具体的に思い出すことが難しいです。今、思っていることならお話できるのですが……。芥川の作品は、改めてつくりかえる、あるいは発明しなおす余地をもっていると同時に、非常に強いアイデンティティも備えていると思います。ですから私は直感的に、この物語は多方面に広がり、様々な事柄と繋がることができる可能性をもっていると感じました。芥川は日本の作家ですが、彼の物語は日本という一カ所の地域に限定されたものではないと思っています。今回採り上げる短編は、世界共通の物語として共有できるものだと思っていますね。様々な場所に育ちうる何らかの“芽”のようなもの。だから、例えば芥川の世界と妖怪たちの世界は共存できると思ったのです。つまり、新しい可能性と同時に、普遍性もあるところが魅力だと感じています。

アブシャロム・ポラック

 
──
今回の作品は、「羅生門」「薮の中」「蜘蛛の糸」「鼻」が織り交ぜられた内容になるとのことですが、その短編4作品はどのようにして決まったのでしょう?
アブシャロム
今回は、私が芥川の作品について調べ、芥川自身の生涯をも見つめたなかで発見したことに基づくことが多くなると思います。そうやって調べたなかで、どの短編を選ぶのがいいか、選んだ短編のどの要素を抜粋するのがいいか、を考えました。ですから短編をそのまま用いるのではなく、その要素の一部を切り取ったり、あるいは、それを違う形で表現したりします。芥川が書いた短編小説そのものを、そのまま提示することはありません。
──
ということは、4つの短編もあなたが選んだのですね。
アブシャロム
そうです。当初は他の作品も候補として考えていて、例えば「手の無い侍が何かを書く」という話なども、一瞬のイメージとして採り入れることを考えました。ですが、結果的には今の4作品になりましたね。この公演を通じて観客が芥川の世界を体感し、芥川らしさを感じたり、あるいはそうでない意外性を感じたり…というふうになればいいなと思っています。
──
今回選ばれた4作品はビジュアル的にも非常にイメージ豊かで面白いですよね。例えば「蜘蛛の糸」の“糸”のイメージというのは、あなたたちの過去作品で繭をテーマにした「ボンビックス モリ with ラッシュ」とも繋がるイメージがあるように感じました。また、「鼻」の“鼻を茹でて足で踏む”といった描写もユーモラスで楽しいビジュアルになりそうです。
アブシャロム
ビジュアルの要素を物語の中からいかに抽出するか、というのは私たちにとってチャレンジであり、非常に面白みを感じているところでもあります。その採り上げ方も、芥川の短編とは違った角度からのアプローチになることのほうが多いでしょうね。でも、おっしゃる通りです。ビジュアルのイマジネーションが非常に豊かで、創造の可能性が広がります。

百鬼オペラ「羅生門」撮影:渡部孝弘

 
──
少し話はズレますが、先程の「ボンビックス モリ with ラッシュ」の“繭”のように、「ゴールド・フィッシュ」や「Hydra ヒュドラ」など、あなたたちの作品には生き物をタイトルに冠した作品が多い気がします。今回も“百鬼オペラ”なので妖怪が出てくるわけですが、生き物の生態や動きの面白さを舞台上で見せたい、という気持ちもあるのでしょうか?
アブシャロム
どうでしょうね? 意図的ではありませんが、結果的にそうなっているのは確かですね。タイトルに関して言うと、何かしら有機的なものや自然に関するもの……「オイスター」などもそうですが、具体的な、命をもった存在が作品に繋がることは多いですね。
──
生き物を題材として採り上げることで、動きに可愛さや愛嬌が出るようなところもあるのでしょうか。
アブシャロム
そうであることを祈っています。ただ、個々の登場人物の動きというのは、その人物の目的や状況、そこでの関係性など、繰り返しになりますが、それぞれのアイデンティティが何であるかで、その振る舞いや動きがつくられるので、必ずしも可愛い、というわけではないと思いますね。
──
では、今作の“妖怪”という要素はどこからでてきたのでしょう?
アブシャロム
ある意味、最初からあった気がします。芥川の作品世界から感じられる、神秘性、恐怖、幻想、イマジネーション、グロテスクさ……そういったイメージの中で、何かしら存在しているものだと思うんです。例えば今回、妖怪の世界に入っていくポイントのひとつは、羅生門と関係していますが、それは“門”というものが異世界への扉であったり、鬼、悪魔、怪物などと繋がりうる場所だと思うからです。そういった妖怪の世界との繋がりは、「羅生門」に限らず、他の短編にも感じられます。芥川の作品は、現実の場所であっても、幻想や想像の世界に行きうる可能性を持っています。そうした時に、妖怪というものを、現実を壊すためのひとつの可能性として、時に恐ろしく、時にくだらなく、存在させられたらいいと思ったんです。場面によっては、単純に何か不思議な“モノ”として、ただ動いているだけでもいい。イリュージョンであり、イリュージョンでない、という幻想。そして、そもそも妖怪というのは、古くから日本に根付いた存在だと思うので、そういう日本と通じた何かを扱うのもいいな、と思いました。けれど、それをまた壊して、壊した挙げ句に違うものとして描く、ということも面白いと思っています。

百鬼オペラ「羅生門」撮影:渡部孝弘

 
──
“壊す”ということは、いわゆる日本の妖怪に限らず、オリジナルの妖怪が登場するということですか?
アブシャロム
そうです。今は大きく分けて、4種類の妖怪を考えています。例えば植物や木など、自然界から派生した妖怪、無機物だとか“モノ”から派生した妖怪、そして屍骸だったり、アンダーワールドから派生した妖怪。さらには、この世と共存する妖怪でもいい。そういった様々なバリエーションの妖怪を考えています。
──
面白そうですね。今、ちょうど、脚本や美術の打合せをされていると伺ったのですが、美術のイメージはもう固まっていますか? 例えば「100万回生きたねこ」や「オイスター」は、かなり色鮮やかでカラフルなイメージでしたが、作品によっては白の印象が強いものもあります。あなたの言葉を借りるなら、作品のもつアイデンティティによって、その色彩も変わってくると思いますが、現段階で、百鬼オペラ「羅生門」の色のイメージはありますか?
アブシャロム
今、考えているのは、暗闇から明るさへ、あるいは明るさから暗闇へ。そういったアイデアは出ています。複雑に様々な色を内包している芥川の世界をどのように描くか、ということを考えていますね。そうすると、明るい時もあれば暗い時もあるし、それは美術だけでなく、セリフ、音楽、動きにおいても、明暗が混在するでしょうね。
──
確かにどの作品においても、すべての要素が一体化して、特別なひとつの世界が構築されていると感じます。例えば、舞台上に雪や水がしいてある作品もありましたが、今回は何かシンボルとなる美術のイメージはありますか?
アブシャロム
美術のイメージは今、少しずつ形になりつつある過程です。今回の作品は、とてもたくさんの要素を扱うので、ビジュアルのアイデアとしては、いろんな視点をもたらしてくれるようなものがいいと思っているんです。何か、トンネル、洞窟みたいなものとか……。ひとつの事柄を内と外、別の角度から見た時に、どういう違った意味合いが出てくるのか。そういう視点をビジュアル面でも表現できるよう、考えている最中ですね。
──
それは楽しみです。また、今回の短編は少し古い時代の日本が舞台となりますが、そこもビジュアル面には影響するのでしょうか?
アブシャロム
ビジュアルや時代というのは、この公演独自のものになるでしょうね。
──
なるほど。先程、芥川の生涯を見つめて……というお話をされていましたが、芥川の実人生も作品の中には織り混ぜられていくわけですよね?
アブシャロム
その可能性はありますが、どうでしょうね。我々がものづくりをする上での大事なことのひとつに、“可能性”というものがあります。具体的に芥川の人生や、例えば彼の住んだ場所について描かないとしても、様々なプロセスのなかで、それが違った形で現れる可能性はあると思います。人によっては、気づくかもしれないし、気づかないかもしれませんが、それはそれでいいと思っています。

百鬼オペラ「羅生門」撮影:渡部孝弘

 
──
芥川自身もそうですし、今回採り上げる短編の登場人物たちに対して、どのような印象をもちましたか?
アブシャロム
芥川も、彼の描く人物も、少なからず我々のなかにある要素をもっていると思います。もちろん、芥川の人生というのは、特別に濃く短いものだったとは思いますけれど。そのなかで、これだけの数の物語をつくり、そこに様々な可能性を残している。だから我々は、彼がどんな人生を生き、家族や恋人、友人や社会とどんな関係を築き、どれほどのプレッシャーを受け、どんなことを考えたか、ということを調べあげることもできると思います。でも我々人間は、芥川に限らず、みんなある程度、そういう何かしらの問題を抱えて生きていると思うんです。芥川にとっては、それが死に飛び込まなくてはならないほど深刻だったのでしょう。人間というのは誰しもそうだと思いますが、大きなプレッシャーや病気と対峙した時に、どういう方向に向かうべきか、それをうまく決めることができない。今回の物語でも、登場人物たちが決断の分岐点に立つ時に、どの道が正解かはわからないのです。そういった決断というのは、より大きな視点で考えたら、生や死、宗教の問題とも関わってくるでしょう。そういう普遍的な問題になると思います。彼が生きていた時代というのは、ちょうど時代が変わる過渡期。現代の生活と古(いにしえ)からの生活が出合い、海に守られた島国である日本に西洋の文化が流れ込む、大きな変革の時でもあった。それが、その時代に生きる人たちにとってどんな状況だったのかと考えると、様々な考えが沸き上がります。きっと、大きなプレッシャーがあったでしょうし、焦燥感や鬱屈する想い、気落ちするようなこともあったでしょう。人によっては様々な現実的問題に対応しなければならなかったでしょうね。
──
日本人は、芥川の作品を小学生の頃には教科書などで読むことが多いんですよ。例えば「鼻」などはユーモラスな描写が多いので楽しく読んだ記憶がありますが、「羅生門」を読んだ時は、複雑な気持ちになりました。屍骸の髪を抜く老婆に嫌悪感を抱いた下人が、そのすぐ後には老婆の服を剥ぎ取る。つまり、嫌悪感を抱いた老婆と同じように盗人をするわけです。大人になって、その時代や下人のバックグラウンドを想像すると、わからなくもないのですが、子供の頃は「どうしてそんな酷いことをするんだろう?」と思いました。
アブシャロム
ああ、その通りですね。そういうことだと思うんです。ある物事に対して、子供として、ある理解をしていたものが、大人になったら違う理解になる、ということはあることだと思うんです。芥川の作品は、そんなふうに同じ事柄に対しても、違うことを感じうる可能性をもたらしてくれると思っています。それは感覚が麻痺してしまったわけではなく、芥川の作品が引き金となって、むしろ何かを新たに感じる、考えることになっているのだと思います。

百鬼オペラ「羅生門」撮影:渡部孝弘

 
──
確かにそうかもしれません。あなたたちは、これまでにも芥川以外に、例えば宮沢賢治や「100万回生きたねこ」など、日本の作品を扱っていますが、どの作品も非常にイメージ豊かで、広がりをもたせやすい余白をもっているように感じます。
アブシャロム
そうですね。それぞれに、まったく異なる作品世界ですが、おっしゃるように、そこから派生してイメージを広げやすい土台をもっていると思います。あるいは、何か別の要素を持ってきた時に相互作用できるようなところもある。普遍性と同時に、新たな発見ももたらしてくれるところが、どの作品にも共通していると思います。
──
“普遍性”という言葉を何度か使われていますが、もちろん、芥川の作品を手がける時点で、そこには、あなた個人の感覚や思想、哲学と通じる部分も、たくさんあるわけですよね?
アブシャロム
もちろんです。トラブルや問題を抱えた魂、混乱や恐怖、ファンタジーに愛──。そういうものは、もちろん私の中にもあるものです。芥川の作品には、その全てが描かれていますからね。やってはいけないこととやるべきこと、何が正しく何が間違っているか。そして、そういった物事を視点を変えて見つめること。それこそが人生だと思いますね。
──
おっしゃる通りだと思います。最後に、あなたが思うこの作品の見所を教えてください。
アブシャロム
私の哲学として“可能性”を提示したい、という気持ちがあるんです。つまり、何かひとつの物事に対しても、遠くに離れられる可能性があったり、身近なところに留まれる可能性もあったり、とても素朴で身近な感覚から、どこか常軌を逸した感覚まで、その多岐に渡る可能性の幅を提示できたら、と思っています。
──
ということは、百鬼オペラ「羅生門」は、観客にとっても自由で様々な可能性に満ちた作品になるわけですね。
アブシャロム
そうです。ただ、ここには矛盾があって……。私がこの作品について具体的に詳しく説明することは、その可能性を限定してしまうことに繋がるんです。つまり、この作品の構成やメッセージ、どう見てもらいたいかなど、それを話してしまうと、観客がこの作品を観る上での先入観や障害になってしまう。ですから、理想的な状況としては、夜に夢を見るみたいな、何が起こるかわからないような状況で体験を始めてもらいたい。そして夢を見た後に「ああ、今日はこんなことがあったから、こんな怖い夢を見てしまったんだな」と思うように、観終わった後に、何か自分との繋がりを感じたり、考えたりすればいいと思っているんです。舞台芸術も、何も無い、真っ暗なところから、何かがいきなり始まるでしょう。私は夢と同じようなものだと思っているんです。
──
素敵だと思います。百鬼オペラ「羅生門」を楽しみにしています。ありがとうございました。
※このインタビューは6月末に行われたものです。

百鬼オペラ「羅生門」

 

【期間】2017年9月8日(金)~9月25日(月)

【場所】Bunkamuraシアターコクーン

【チケット】S・¥10,800/A・¥8,500/コクーンシート・¥6,500(税込)

百鬼オペラ「羅生門」

●原作:芥川龍之介

●脚本:長田育恵

●作曲・音楽監督:阿部海太郎

●作曲・編曲:青葉市子、中村大史

●演出・振付・美術・衣裳:インバル・ピント&アブシャロム・ポラック

●出演:柄本 佑、満島ひかり、吉沢 亮、田口浩正、小松和重、銀粉蝶 江戸川萬時、川合ロン、木原浩太、大宮大奨 皆川まゆむ、鈴木美奈子、西山友貴、引間文佳

【主催/企画・制作】ホリプロ【後援】イスラエル大使館

 

百鬼オペラ「羅生門」

http://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/17_rashomon.html