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性愛に踏み出せない女の子のために 第9回後編 宮台真司

対談・インタビュー

性愛に踏み出せない女の子のために
第9回 後編 宮台真司

雑誌「季刊エス」に掲載中の宮台真司による連載記事「性愛に踏み出せない女の子のために」。2023年3月15日発売号で第9回をむかえますが、WEB版の発表もおこなっていきます。社会が良くなっても、性的に幸せになれるわけではない。「性愛の享楽は社会の正義と両立しない」。これはどういうことだろうか? セックスによって、人は自分をコントロールできない「ゆだね」の状態に入っていく。二人でそれを体験すれば、繭に包まれたような変性意識状態になる。そのときに性愛がもたらす、めまいのような体験。日常が私たちの「仮の姿」に過ぎないことを教え、私たちを社会の外に連れ出す。恋愛の不全が語られる現代において、決して逃してはならない性愛の幸せとは?
前回(第9回WEB版中編)に続いて、WEB版後編では、「なりきり」とそれによる「交響する多視座」の実装だけでは、「相対の愛」から「絶対の愛」には昇れないこと、そして「絶対の愛」に昇るための最後の一段について、語られます。

 


過去の記事掲載号の紹介 

 

前回の第8回はWEB掲載です https://www.s-ss-s.com/c/miyadai08a

 

第1回は「季刊エス73号」https://amzn.to/3t7XsVj (新刊は売切済)
第2回は「季刊エス74号」https://amzn.to/3u4UEb0
第3回は「季刊エス75号」https://amzn.to/3KNye4r
第4回は「季刊エス76号」https://amzn.to/3I6oa57
第5回は「季刊エス77号」https://amzn.to/3NRfjYD
第6回は「季刊エス78号」https://amzn.to/3xqkU0V
第7回は「季刊エス79号」https://amzn.to/3QiyWuP
第8回はWEB掲載 https://www.s-ss-s.com/c/miyadai08a
第9回は「季刊エス81号」https://amzn.to/3T5e7Ep

 


宮台真司(みやだい・しんじ)
社会学者、映画批評家。東京都立大学教授。90年代には女子高生の援助交際の実態を取り上げて メディアでも話題となった。政治からサブカルチャーまで幅広く論じて多数の著作を刊行。性愛 についての指摘も鋭く、その著作には『中学生からの愛の授業』『「絶望の時代」の希望の恋愛 学』『どうすれば愛しあえるの―幸せな性愛のヒント』(二村ヒトシとの共著)などがある。近著に、『崩壊を加速させよ 「社会」が沈んで「世界」が浮上する』。

 

聞き手
イラストを描く20代半ばの女性。二次元は好きだが、現実の人間は汚いと感じており、性愛に積 極的に踏み出せずにいる。前向きに変われるようにその道筋を模索中。


後編
スワッピングに出会った経緯

 

──前回のWEB版中編は、中二的なテンプレ的性愛から逃れる道筋として、「なりきり」と「交響する多視座」の営みがあるという話題でした。そして、私たちには衝撃的な事例でしたが、80年代から90年代までたくさんあったスワッピング・サークルの話をしていただきました。宮台さんがスワッピング(以下SW)に出会われたのはどんないきさつだったんですか?

宮台 連載第7回WEB版でも話しましたが、僕は愛と嫉妬の感情を長い間失ったことがあります。初恋の失敗から「もっと上を」と目指すようになりましたが、初恋相手を絶対化した営みなので成功するはずもなく、気付いたらナンパ師になっていました。嫉妬心が消えた自分に大きな喪失を感じました。どの女性も入替可能に見えてしまう。「こんなはずではなかった。ナンパ地獄に落ちたな」と思いました。

やがて95年春に或る女性と出会い、若干の騒動を経て、愛と嫉妬の感情が戻りました。贋物キットで自分と彼女が両方エイズにかかったと思い込み、正式な検査の結果判明まで当時は一週間以上かかったので、その間色々話しました。僕が彼女にうつしたと思って謝罪したら、彼女は間違いなく自分が僕にうつしたのだと言い、過去にどんな性愛を体験してきたのかを事細かく告白してくれました。

彼女は或る男に長年「調教」されていました。内容はSWどころじゃなく、ここではとても話せません。告白を聞いた僕は、自分の経験値が彼女より高いと思っていたことをひどく恥じて、彼女にどんな性交をすべきか分からなくなりました。僕は十個ほどの激しいエピソードを告白された後、彼女の要求に応じて最も衝撃を受けた三つを選んだら、「一緒にそれをやろう」と提案されました。

実際には彼女の体験よりも穏便でしたが、前回話したSWとその応用的営みを、彼女のサポートで体験。愛と嫉妬の感情が戻りました。正確には、想像したこともない体験群を彼女から聞いた時、忘れていた嫉妬感情が生じたのを感じ、それらの体験群を真似した営みを続けて、愛と嫉妬の感情の回復を確証しました。彼女との関係も、以前は想像しなかったほど深いものなりました。

それまで数年、常時4人ほどと愛に溢れない関係を継続していました。以降は関係を見直しました。常時4人ほどは変わりませんが、SWと応用的営みで嫉妬を感じない相手を入れ替えました。不思議なことに、好きと思っていてもSWで嫉妬を感じない場合や、さして好きでないと思っていても嫉妬する場合がありました。嫉妬すると好きになり、嫉妬しないと好きではなくなりました。

 

なぜナンパをするようになったか

──宮台さんはどうして感情が入らないナンパをするようになったのですか? 第8回で丹下隆一先生との出会いがナンパのきっかけだとおっしゃっていましたね。その当初から感情が働かなかったのか…。よろしければ伺わせてください。

宮台 ナンパを本格化したのは85年。初恋相手以上の子を探していました。それが88年に愛と嫉妬から見放され、並行関係にシフトしました。きっかけがありました。初恋相手と別れた83年、友人の恋人である美しい子を好きになり、関係を打診したら泣きながら断られました。それが88年に下北沢でバッタリ再会。数日後デートしたら、恋人(友人ではない)と一か月後に結婚することを告げられます。

翌日、荒れた僕を見咎めた或る女子に事情を話したら告白され、関係しました。そして再会した子とのデートの二週間後、結婚をやめたと電話がありました。請われて会うと、83年に誘われた時に実は嬉しかったこと、でも厳しく育てられて来たので混乱したこと、誘われてイエスと言いたかったことなどを告白。「婚約解消はもしかして」「そうです」。彼女との関係の驚きのスタートでした。

直前に関係した女子に正直に事情を話したら、最後に抱かれたいと請われました。安全日だからと避妊を拒まれましたが、二か月余り後に子宮外妊娠で救急搬送。彼女の消沈と両親の激怒もあって交際を約束しました。奇蹟の再会で交際をスタートした子には正直に事情を話し、二人で号泣しながら夜を過ごし、別れました。彼女こそ間違いなく初恋相手以上の子でした。それが88年のこと。

その子とのスタートがきっかけで、やめていたナンパを再開。救急搬送された子とも程なく別れます。ジェットコースター的な事件の衝撃で感情が壊れたのでしょう。誰も好きになれないまま、女達を入れ替えつつの並行関係が始まります。そして95年春。やっと愛と嫉妬が戻りましたが、愛と嫉妬を回復させてくれた彼女も、僕の「愛ある複数関係」を見咎め、やがて去ることになります。

──すごいドラマですね。今のお話が「感情を失ったナンパ」のきっかけなんですね。ナンパ自体はどうしてはじめたのですか?

宮台 「ナンパでの感情の閉塞」と「SWでの感情の回復」の関係を話したくて、88年にあった感情閉塞の起点を話しました。第8回で話したけど最初のナンパは82年の丹下隆一先生との出会いが契機です。常習化するのが85年。ただし88年までは、遊びもありつつ、「瓢箪から駒」的に初恋相手以上の恋愛相手に出会えると思っていました。感情の働きも問題なく、楽しい思い出も色々ありました。

と言う話で分かる通り、初恋相手との別れが跡を引きました。大学の同級生でしたが、毎日性交していました。研究室でも図書館でもいつも一緒だったので、先輩に「お前ら、あそこが繋がったままなんじゃねえの?」とからかわれました。昼間から総合図書館屋上や建物の蔭で性交しました。朝10時から夕方17時までラブホのサービスタイムに入り浸り、勉強しては性交しました。

大学4年の時、僕はテレビ局に就職したかったのですが、8月15日に自分の卒論を書き上げた後、鬱転して伏せった彼女に付き添い、就職活動を逸しました。11月に廊下で擦れ違った指導教員の吉田民人先生に「院という手もあるぞ」と耳打ちされ、院進しました。その後彼女は回復、一年留年してNHKに就職します。更に一年後の83年12月末、修士二年の末期に、別れるハメになりました。

彼女はテレビ局。僕は大学院。違った界隈です。話が合わなくなります。会って楽しくなくなりました。これは続かないなと予感。年末の電話で別れを告げました。そして84年。博士課程に進学。友人と起業したドキュメンタリー制作会社(後にマーケットリサーチ会社)の取締役に就任。この年、大学4年の時に受けたアウェアネストレーニング(自己啓発)に本格的に取り組みました。

それで衝撃を受けます。記憶の捏造がありました。転機になった出来事を変性意識状態で今その場で体験するかの如く思い出すプログラム。一年前の別れのやりとりを選びました。当時を体験している自分を改めて体験することで、①テレビ局に入りたかった僕の嫉妬が楽しくないと感じさせたことと、②別れを切り出されるのが恐くて自分から別れを切り出したことを「思い出した」。84年12月です。

バカなことをしたと後悔しました。でも後の祭り。絶対に挽回するぞと思いました。そこに渡りに舟のトレーニング。第8回で話しました。アウェアネストレーニングは行為を前提付ける自己物語(フレーム/ストーリー/スクリプト…)を書き換える営み。今までできなかった営業の勧誘や性愛の誘惑ができるようになります。加えて僕には丹下隆一というロールモデルもありました。

そして85年。テレビの昼ワイドで世界初の個室テレクラ「東京12チャンネル」が紹介されます。直ぐに出宅して新宿淀橋にあるテレクラの12ブースの一つに飛び込みます。主婦相手のビギナーズラックに味をしめて気が付くと全国50店以上のテレクラ会員証を持っていました。そこで得たノウハウで町田や藤沢や柏や立川など郊外でナンパするようになりました。ナンパ師の誕生です。

94年のハメ撮りカメラマンらを追うテレビドキュメンタリーでナンパ師界隈を取材しました。分かったのは高偏差値大学出身のナンパ師は多くが初恋の失敗挽回が起点だったこと。やがて起点が忘れられてナンパ自体が目的になる。SWと同じで動機パターンは少数なのです。僕も同じパターンに完全にハマっていたのが分かります。女達が知らない「男にはよくある話」なのですね。

 

眩暈の愛では足りず、相対から絶対へ

──いろいろ質問したので混乱してしまいました。年代順に言えば、初恋の失敗、失敗挽回としてのナンパ、二度目の失恋騒動、衝撃による感情の閉塞、愛のない並行性愛、エイズ騒動、相手の女性の驚きの過去の告白、SWで衝撃から回復、愛と嫉妬の回復、深い愛のある並行性愛、という流れですね。30歳代半ばまでに本当にいろんなことがあったのですね。

宮台 ただ、その後もっと大きな出来事が起こります。97年秋、東大法学部4年生が、大蔵省キャリア内定を報告してきた際、僕に求愛しました。僕が91年春に東大助手から東京外大に転属した後、東大で5年間非常勤講師をした時の教え子です。「朝日新聞」に援助交際の存在を書いたのが93年秋で、それでマスコミが騒いで援交ブームになったのが94年。この年に彼女が入学、僕の講義を受けました。

僕は常時4〜5人と関係を続ける現状を話し、断りました。その一週間後、彼女は自殺しました。葬儀に出かけると御両親から別室に呼ばれました。告白を断った事実を話し、謝罪しました。御両親は「娘の詳細な日記を読んだが、先生は悪くない」と逆に謝罪されました。それで混乱が倍加しました。自殺の直後に『朝生』に出演した後(97年11月)、鬱で全く起き上がれなくなりました。

彼女の将来を考え、正直に現状を話して断るしかないと思った。でもそれが自殺を招いた。僕が断らなくても、彼女は僕が話した現状に萎えて、同じ結果になったかもしれない。いずれにせよ、正直に語ったから自殺した。嘘をついて交際すれば良かったのか。でも不誠実過ぎるし、いずれ現状が露呈したはず。僕にはどんな応え方があったのだろう。どう考えてもまともな選択肢があるとは思えませんでした。

年明けに少し回復して石垣島の底地ビーチに常泊(講義日に来京)。やがて近くのヒルギ群落で気付きを得ます。彼女は大学一年の前期講義で援交を知り、デートクラブに通い始めた。優等生の自分とデークラ人気嬢の自分という二重生活を知るのは僕だけ。表と裏を知る僕を失うのが不安だったのではないか。ならば答えを保留して時々会う未規定な関係に入るという選択肢もあったはず。

この気付きは間違ってはいませんが、所詮「先延ばし」に過ぎないだろうとの疑念が残りました。彼女は、性愛の独占までは望まず、「自分への愛が絶対のものだ」と思いたかったのではないか。とすれば、「自分への愛が絶対のものだ」と信じてもらえない要素が僕にあったのではないか。僕には愛の感情が戻ったとはいえ、それは「絶対の愛」ならぬ「相対の愛」に過ぎないのではないか。

それで次の気付きへ。選択肢がなかったのは生き方が間違っていたからではないか。「愛のない並行性愛」はやめたにせよ「愛のある並行性愛」自体に問題はないのか。「並行"恋愛"」とは呼べない代物ではないか。「寝ても覚めても」一人を想うことがなく、時間が空いたら「誰と」会おうかと考える。「相手の寂しさを思い」、前回から最も時が経った相手と会おうとする「損得勘定」。

それを続けたのは「寝ても覚めても」想うほどの怒濤の愛がないからではないか。怒濤の愛から見放されたのは、二人で号泣して別れた失恋の後遺症ではないか。振る/振られるのとは違う(死を含めて)余儀なき事情で愛し合っているのに別れることに脅えてはいないか。「なりきり」と「交響する多視座」で深い愛を感じることと、「奇蹟を感じるがゆえに」相手のために死ねると思うことの間に距離はないか。

かつてナンパ師として知られた高名な大学教員(≠丹下隆一)が、自分は多数の内の一人なんでしょと不安を抱く相手を、こう口説いていたのを僕は知っている。恋愛は対幻想だ。対幻想は一つの絶対的宇宙だ。私は複数の相手との間でそれぞれ絶対的宇宙を生きる。それは単数の相手と所詮は相対的宇宙しか生きられない巷の男達よりも強い。だから少しも不安に思う必要はないと。

僕もそう思ってきた。でもどうか。〈受苦としての情熱愛〉を定義するのは、「あなたは世界の全て」という唯一性規範と、「あなたが喜ぶなら法も破る」という贈与規範。後者は良いとして、「あなたは世界の全て」と複数の相手に感じるのは、意味論的な矛盾じゃないか。実際「寝ても覚めても」一人を想うことがないではないか。時間が空いたら「誰と」会おうかと考えるではないか。

かくして、「深い愛のある並行性愛」が可能な者「だけが初めて」到達できる、その先にある〈受苦としての情熱愛〉を、目指し始めます。「だけが初めて」と言うのは、所有権の主張や契約の裏切りゆえの「浮気への怒り」から自由で、「なりきり」で相手の幸いを望み、「交響する多視座」で「その幸いを自分も与えられるようになりたい」と望む(その意味では嫉妬する)者だからです。

SWを実践できることは①所有権放棄、②なりきり、③交響する多視座という意味で「深い愛のある並行性愛」ができる能力を意味します。これは「あなたが喜ぶなら何でもする/受け容れる」という贈与規範の実装を自動的に意味します。それに加える形でだけ、「あなたは世界の全て」という唯一性規範が実装された時、ようやく〈真の愛=受苦としての情熱愛〉のステージに入れるのだと思います。

それが「相手を自己本位的に縛ることが一切ない/相手に自己本位的に縛られることが一切ない、しかし絶対的な関係」です。美しい東大生女子の自殺で絶望に沈んだことで、僕はやっと「あなたが喜ぶなら何でもする/受け容れる」という贈与規範と、「あなたは世界の全て」という唯一性規範の両方を実装した絶対的関係を求めるようになりました。ここまでが本当に長い道のりでした。

 

最後に昇らなければいけない一段

──映画になりそうなエピソードばかりです。それが一人の男性を襲ったという事実にとても驚きました。試行錯誤してはその先に進む営み感動的ですけれど、同時に、性愛ってそんなに大変なのか…とも感じました。

宮台 こうした話をする目的は二つです。第一に、僕の性愛能力は最初は低かったことを理解していただくため。自分だけでなく他者の苦難を含めた千の偶然と万の偶然の重なりの中で少しずつ改善されたのです。第二に、そうした1%の運とも言える生き延びを、あり得ないギフトだと感じるからです。ならば若い人の多くに学びをシェアして、少しでも苦難を軽減してあげたいと思うわけです。

だから、幾度も抽象度をあげて理解するよう求めています。第一に、SWせよと言っているのではなく、SWの正しい営みにおいて働く「なりきり」能力と「交響する多視座」能力を実装せよと言っています。第二に、能力を実装しても、「あなたが世界の全て」という絶対性に至るにはもう一段昇らなければいけないとも言っています。ともに具体的行為より能力や機能を問題にしています。

最後に話した、「あなたが世界の全て」という絶対性に至るための最後の一段は、実は言語化が難しいものです。カトリック教会に属する御受難修道会の来住英俊神父は、キリスト教信仰の99%はロジックで理解できるが、最後の1%は突然の「啓示による召命」が必要だと言います。僕が映画批評で使う言葉で言えば「訪れを待つ」構えが必要です。それがいつ訪れるのかは分かりません。

「訪れを待つ」には、ソレが訪れるために必要な条件を揃えておかねばなりません。言外・法外・損得外の「同じ世界で一つになる」フュージョンの能力しかり。相手の快楽が直ちに自らの快楽になる「なりきり」の能力しかり。他者達の欲望を自らの欲望として感じる「多視座化」の能力しかり。所有権の主張や契約の裏切りゆえの「浮気への怒り」からの自由しかり。これらを訓練で実装して待つ。

読者の皆さんが言う「心の相性」と「体の相性」は先天的ではありません。今話した能力を実装すれば結果として「心の相性」も「体の相性」も一変します。しかしどこまで語ってもこれらの語りは広い意味で属性主義的です。類似の属性群を持つ主体が複数あり得るので入替可能です。属性のハードルが高ければ主体は絞られます。でもたとえ一人に絞られてもそれは絶対とは言えません。

なぜか。未来が開かれているからです。今は一人でも、未来に他の人達が現れ得ます。相手が絶対的に唯一と言えるには、「横のロジック」とは別の「縱のロジック」が必要です。横のロジックとは現実的時空での比較可能性。縱のロジックとは虚数的imaginary(想像的)時空での比較不能性。誤解を恐れずに言えば、絶対性は虚数的時空で見立てられるべきもの。そこには決断の契機があります。

眩暈的享楽の徹底比較で一人に絞る「横の営み」と、天から光が降り注ぐが如くその人以外は目に入らなくなる「縦の営み」の合わせ技。論理的には「横の営み」あっての「縦の営み」。さもないと勘違いに閉ざされます。でも現実にはある程度の経験がある者達に同時に生じます。最初のデートや性交から「この人は全く違う」と異次元ぶりを互いに感じ、この人に全て委ねると「決めます」。

その結果、誘惑されても他の人と性交する気がなくなるか、諸般の事情で性交しても ──お仕事でするとか気の迷いで流されるとか── 優先順位が揺らぎません。眩暈の享楽の徹底比較で絞り込む「横の営み」と、寝ても覚めても相手しか目に入らない「縦の営み」の掛け算で、初めて思い込みを越えて持続可能な「絶対の愛」に到ります。それが「つまらない社会」の外にある享楽です。

キャラとテンプレの性愛はつまらない。だからやめたがり(退却系)、いいね掻き集めで盛りたがり(インスタ系)、見掛けの過剰で埋めたがる(肉食系)。性愛に乗り出してもインスタ系と肉食系は「仄暗い雲」に覆われたまま。乗り出すべきは、比較可能な実数界=眩暈の享楽(の無い相手の即切り)と、比較不能な虚数界=「あなたは世界の全て」という抑えがたい決断の、掛け合わせです。