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映画「Memories」&「Dear Moon」今関あきよし インタビュー

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今関あきよし監督による2本の短編映画が下北沢トリウッドにて公開され、11月27日より下北沢トリウッドにて1週間限定アンコール公開が決定している。1本目は『恋恋豆花』に続いてモトーラ世理奈を主演にした『Memories』。暗闇の中で物語が朗読され、ヴァイオリンが響き、そこに1人の少女のイメージが映し出される。物語を忠実に再現するのではなく、映像と言葉と音楽のコラージュと言える実験的な映像作品だ。そして2本目は『Dear Moon』。コロナに覆われた暗い世界を、淡く透き通るような月の光が包み、美しく浮かび上がらせる。失われた少女をめぐるミステリアスな物語の交錯。自由なスタイルで光と影を写し取ったイマジナブルな映像世界が堪能できる2作。今回は監督の今関あきよしにインタビューをおこない、その刺激的な映画表現の魅力をお伝えする。

 

── 『Memories』は、『恋恋豆花』の直後に制作された作品ですね。主演は引き続きモトーラ世理奈さんです。

今関 『恋恋豆花』がクランクインする前からもう1本撮りたいと思っていて、事務所に「もう1本短編で撮らせてくれないか?」という話をしたら、2日、3日のスケジュールが取れたんです。『恋恋豆花』がクランクアップして1週間くらいで撮影しました。モトーラは風邪気味で葛根湯を飲みながらやっていました。ボーッとしていて、かえって映画には合っていたんじゃないかな(笑)。彼女はいろんな側面が魅力的じゃないですか。普通の俳優さんとは違う存在感があるし、演技力だけで魅せるタイプでもない。陰と陽の面白さがあるから、『恋恋豆花』とは全く違うイメージで撮ったんです。なにより、本人が物語性を帯びていますよね。何もしなくても物語がある。モデルとしても、どんな服を着せられても、物語性を感じる独特の存在だと思います。

── 『恋恋豆花』ではカメラを意識させないような街の食べ歩きなど、自然な旅の記録という面もありました。一方、『Memories』は、序盤で「僕はまた映画を撮ろうと思う。君がそこにいるから」というナレーションが入り、映写機とカメラが出てきて、意識的に映画であることが語られていたように思います。

今関 あれは僕自身のナレーションなんだけど、ほぼ完成した後で入れました。セリフもその時に考えました。『恋恋豆花』とは真逆で『Memories』は意図的にカメラ目線が多いですね。作る側の僕と、撮られるモトちゃんの距離感のようなもので作りたいと思いました。映画の面白さには、悪い意味ではなくて「捕獲」みたいなところがあると思うんです。きれいな蝶や虫を捕獲して保存しておく。虫は捕獲すると死んでしまうけど、映画の捕獲は永遠にその中で時間が止まる。モトちゃんがおばあちゃんになっても、映画の中では永遠にこの歳でいられる。そういうタイムボックスみたいなところがあると思います。高校時代に8ミリを撮っていた頃からそういう意識を持っていました。好きなものがずっとそこにいてくれる。もう一回頭に戻せば、その時間が繰り返されるという感じは、「少女」にとても合うと思うんです。時間と少女を閉じ込めるような、そういうフェチみたいなものが映画にはあるかもしれない。

── 確かに『Memories』には、映画を撮ることについての少年的なロマンを感じました。映画を撮りたいという本質が、物語を描くという小説的なものより、記憶や夢のようなイマージュをつくりたいという。

今関 『Memories』は語りたい物語というのではなく、モトちゃんでやってみたい映像を形にしたものです。スクリーンと対峙して、それこそ一時間モトちゃんの姿が映っているだけでも良かったくらいなので、出口も仕上げも考えず、衝動に任せて撮りたいものだけを抽出しようと思いました。

── 今関さんは、シナリオ的な物語でなく、少女の魅力を写しとった『ORANGING'79』からスタートされています。1979年にあの作品は決定的に新しいと話題になりました。なぜああいう手法の映画を撮りたいと思ったのでしょう。

今関 あの頃、物語性に憧れもなかったし、三留まゆみちゃんという子がいて、極端な話、ただ彼女を撮っていれば楽しかったんですよ。そういう意味では、僕の中での価値観は一緒だと言えます。当時、特に8ミリの自主映画では、難解だったり、政治色が強かったり、物語性が強かったりする作品が主流でした。そんな中、僕の映画はアイドルのプロモーションビデオのはしりみたいに捉えられていたところがあった。僕は篠山紀信が好きで、彼の『激写』みたいな映画を撮りたいと思っていたんです。きれいな可愛いショットを撮りたくて、そこに意味性やつながりは要らないと感じていましたね。

── 詩情を感じるような映像ですね。モトーラさんにも、映画的イマージュの世界に入り込んでしまうような、特別な資質を感じられたのですね。

今関 モトちゃんだから絵になると思っています。ただ一応流れとしては、芋虫から蛹になって、蝶になるというイメージはありました。黒木和雄監督が撮った『とべない沈黙』という映画があるんだけど、観たことありますか? 当時、17歳くらいの加賀まりこさんがすごくきれいで可愛いんですよ。被爆した少女から娼婦、そしてアゲハ蝶の化身まで7役をやっています。今回の作品にはそのイメージもありますね。

── なるほど。もう1人、鈴木聖奈さんも登場します。大林宣彦監督の『22才の別れ』でヒロインを演じられたのが2006年。とても存在感がありましたが、今関監督は『22才の別れ』の鈴木さんをどう感じていましたか?

今関 大林映画の中で一番血が通っていると思います。他のヒロインはどちらかというと「いないかもしれない」という感じがしますよね。リアルな設定なのに存在感がリアルではないのが大林映画の少女たちじゃないですか。でも、『22才の別れ』はリアルなんですよ。下町を歩いていたらいるかもしれない匂いがするので。

── 今回、鈴木聖奈さんには映画の中で、どういうものを求めましたか?

今関 『22才の別れ』がずっと心の片隅にあって、この作品を作る時にプロデューサーから聖奈の名前が出たこともあって出演につながりました。まだ構想が出来ていなかったのですが、縦軸としての「読み手」、テキストを朗読し続ける役として出てもらおうと思いました。『Memories』は音声シンクロではなく、全部ハイスピードのスローモーションで撮っています。だから、当たり前ですけど、朗読のシーンも口パクは合っていません。聖奈には、「覚えてこなくても、後でアフレコで入れるから」と言ったんですが、彼女は全部覚えていましたね。すごく長いでしょ! あれを完璧に暗記していました。

── すごいですね。シナリオでは本作のテーマである心の闇にまつわる物語がつづられています。「心の闇をポジティブに描く」と今関監督はコメントされていました。

今関 シナリオで小林君と話したのは、引きこもりを否定も肯定もしないけれど、「闇を肯定する映画を作ろう」ということです。一人でいてはダメだとか、引きこもっていてはダメだとか、闇にいてはダメだとか、そういうことを言わない。そこで一生暮らすなら、それはそれで一つの「世界」なんだから、それを否定するのはどうなの? 闇を肯定する映画で良いんじゃないか? ということで、闇の中で延々と朗読を続けながら、「闇に生きる少女で、光を感じるけれど、そちらに行くか行かないかはあなた次第」というニュアンスでシナリオを作りました。あと、今回の作品は、シルク・ドゥ・ソレイユの音楽監督でバイオリニストでもあるポール・ラザーとの出会いもあって。彼も映画に出たいと言っていたから、曲を使うだけではなく、演者としてヴァイオリンを弾いてもらいました。そこでも、「全部スローモーションで撮っているから音は使わずに後でトランスレーションする」と英語で説明したんですが、あまり通じなくて「ピアノと合っていない」とか、撮影時は噛み合わなかったこともありましたね。

── 今回、スローモーションで撮ったのはなぜですか?

今関 フワーッとした感じの中で朗読している映像を作りたいと思ったんです。あと、『Dear Moon』もそうだけれど、最近、セリフと口が合うことに興味がなくなっている。普通のドラマでも、リップシンクロしなくて良いと思っていて、合わせていないんです。リップシンクロさせると、人間が生きている時間を超えられないじゃないですか。そこは映画ならではの世界を作りたいと思っています。

── なるほど。『Memories』はイメージが流れていくような展開ですが、それぞれのシーンは、最初から繋ぎ方を考えて撮っていますか。

今関 あまり想定していません。全体のラフな構成を作っているだけですね。

── タルコフスキーもバラバラに撮って、撮影後に繋ぎ方を考えていますよね。

今関 『惑星ソラリス』のイメージもあります。ラストなんて、もろにイメージしています。『ソラリス』は常に好きな映画の上位で、死ぬ前に見たい映画と言われたら、『ソラリス』ですね。音楽も好きです。僕はべらべら喋るし明るいから、こういうタイプの監督ではないと思われがちだけれど、本当はこっちを突き詰めたいと思っています。お客さんが半分以上、ついてこられずに途中で寝てしまっても良いや、みたいな。『Memories』はどこかまだお客さんに優しくて、イマジネーションが膨らむ構成にしていますけれど。

── イメージ映像の中、朗読で物語がつづられますが、脚本は小林弘利さん。自主制作映画の仲間だったそうですね。

今関 中学の同級生で、映画をやる前からの友だちです。二人とも男の子なのにスヌーピーが好きでファンクラブみたいなものを作って、スヌーピーについて研究したり、語り合ったりしていました。8ミリの自主映画をやっていた頃は、彼の映画で僕がカメラをやったり、手塚眞作品では小林君が脚本を手伝って、僕がカメラをやったりしていましたね。その後の小林君は、今で言うライトノベルを書き始めて、作品を送ってくれて僕も読んでいました。彼の作品も映像化したいんですけどね。

『Dear Moon』のイメージビジュアルは季刊エス74号に登場くださった小半みるくさんが担当しています。
SNSで作品を見た今関監督が直接依頼したとのこと。イラストの雰囲気とマッチしているロゴも手がけたそうです。
月を眺める少女の後ろ姿と幻想的に光る江ノ島の風景を描いた美しいイラストです。

── 長いお付き合いですね。今回は、もう一つの短編映画『Dear Moon』も小林さんの脚本でした。こちらはもっと物語が展開する内容でしたが、どういうところから着想しましたか?

今関 「コロナ禍に撮る映画」として発想した映画ではあります。3つの話があるけれど、すべてがつながりそうでつながらない、でもつながっているんじゃないか? という風にストーリーが並行する作品。いないかもしれない娘を探し続けるお母さん、いないかもしれないボーカルの女の子を探し続ける男…すべて幻想で思い込みなのかもしれないけれど、何かを探し続けるというキャラクターが最初に浮かんだんです。「この3つの話をつなげていけないかな?」と、小林君に投げかけてシナリオを作っていきました。また、コロナ禍でYouTubeを見ていて、『Dear Moon』という曲がすごく良かったので「この曲をイメージした映画を作りたい」と思ったことからもスタートしています。skymarinesというフィリピン人で、独特な世界観を持った女性ミュージシャン。娘さんがいらっしゃるお母さんでね。

── 序盤の、江ノ島の波打ち際に夜景がうつるシーンに流れる音楽ですね。とても美しい始まりでした。

今関 良い曲でしょう? ずっとこの歌が流れているだけでも良いくらい。コロナ禍で海にも人がいなくて、もう夏にこんな絵は撮れないと思います。あそこにキャストなどのタイトルロールを入れずに、海が主演で良いと思っていました。映画に出てくる海などの実景は、だいたい説明なんですよ。「海で、何かをやっています」という意味の、映画学校で習うエスタブリッシングショット(設立画像)として映されるのですが、『Dear Moon』はそうではなくて、一個一個の絵が主演であって欲しいと思って撮っています。タルコフスキーなんてそうじゃないですか。風景を見せられているような映画ですよね。だから、若い人は半分くらいで寝てしまう。三回くらい見てようやく寝たところが埋まる。僕はそういう映画があっても良いと思うんです。現実でありながら現実でないような…。あと、『Dear Moon』は本当の月の光だけで撮りたかったので、照明を使っていません。暗くて良いと思っていて。そのためだけに、何度もカメラマンと江ノ島へ行ってテストしました。僕の中では、月光下とコロナ禍がシンクロしていました。「月光下にいる人間たち」という感じです。街の風景も、月光下で撮るための実験をたくさんしました。ISO感度が、フィルムでいうと普通なら100や200のところ、これは12800~6400まで感度アップして粒子が荒れないギリギリのところを探って撮っています。暗さの中に情報を全部入れているんです。

── 確かに暗いショットが多いですが、そのぶん風景の中にある光が美しいですね。そして本作ではセリフもありますが、同時録音(同録)はなくアフレコで、映像と音声もコラージュ状に響き合うように感じました。

今関 全体を幻想や夢みたいな、現実ではないもののように撮れないかな、と思いました。だから、街のノイズもイコライズして、全体に反響させるようにしています。あと、セリフには「感情を入れないでくれ」と言いました。「どうしたんですか⁉」「大丈夫ですか⁉」「この子、知りませんか⁉」という言葉でも感情を殺して、お人形さんのように話してもらっています。人物にアップで寄っているところはリップシンクロを合わせていますけれど。

── 『登場人物にはそれぞれ、失われた「少女」がいて、それぞれ重なり合うところがあるけれど、どこかおぼろげですね。

今関 共通する同じ女の子なんですよ。でも、違うという…。最後、コインランドリーのところで、観客は「同じ少女なんじゃないの?」と思うはず。でも、なにか違うんですよね。究極に探し続けると、対象が見えなくなるんじゃないかな? というのがあって。

── 「失われた少女」「幻想の少女」というような…。

今関 僕の中でどんどんそうなっているのかもしれません。20代の頃は、女の子と会っても対等じゃないですか。でも、少女そのものがリアルではなく、幻想化してくるところがあるかもしれない。実際の女の子たちはいろいろ悩んだり傷ついたりしているだろうけど、僕の映画の中では、そういうリアリティとは別の存在でいるのかもしれないですね。

── なるほど。本作はモノローグも全体の雰囲気を作っていて、「月は思い出に似ている」という、月について語る言葉は印象的でした。

今関 月は発光体ではなく、太陽という他人の光を浴びて存在している星ですが、それがまた映画っぽいんですよね。映画もスクリーンに反射してはじめて存在する。テレビは発光体じゃないですか。だから、それは本当の意味では映画ではない。映画とそうでないものの区別は、反射しているか、それとも発光しているか、という部分もあると思う。デジタルとはいえ、映写機があって、反射している光を浴びるのが映画であって、暗闇でないと存在出来ない。映写機の前に手をかざしたら消えてしまうし、電気をつけたら消えてしまう。その儚さが少女っぽくもあるんですよ。それが映画を好きな理由でもあります。

── 夜の実景を舞台にした物語でしたが、モノローグの詩情もあいまって、どことなく幻想的なところが素敵でした。

今関 単純に幻想的な映画を作りたいなら、人がいない森の中で撮れば良いんだけど、それだとつまらない。現実の中でファンタジックにしたいんです。コインランドリーなんかは人間が集まるところだし、ドラマを感じるよね。人の生活感があるところに、幻想的なものをはめ込む違和感も好きなんですよ。高校生の頃からずっとそういうのが夢でした。「今が、過去のような感じだったら良いな」と思っていました。「今が同時に過去」であるような。「今」は認識した瞬間に「過去」になってしまうから、今は存在しない。僕らは絶対過去しか見ていない。それがたまらなく心地良いし、映画に合うじゃないですか。電車で窓から流れる風景を見ていると、それはどんどん過去になっていく。何もないのに子供はずっと窓の外を見ているでしょう。あの感じが非常に分かるんですよね。

── 確かに現実ではないような感触が心地よく伝わりました。

今関 現実には嫌なこともあれば悪い人もいるけれど、「映画の中くらいピュアでいて欲しい」というのがずっとあるのかもしれない。現実を取り込むことに抵抗がある。逃げかもしれないけれど、究極的にはずっと逃げていたい。嘘の世界でもそっちの方が良いと思う。「逃げたら弱い」というのは、僕は違うと思う。逃げるのもテクニックだからね。僕ら世代や今子供を持っているお母さんたちは、まだ「戦う方が良い」と思っている人が多いけど、僕は別に学校に行かなくたって良いと思う。お腹が空かないのに、「食え、食え」と言われているのと一緒だから。別の場所に行けば友だちがいるかもしれないし。そういう意味では、多様性があって良いと思う。つらさから逃げる方法論ですよね。

── 『Dear Moon』では、最後に希望みたいなものが見えますね。

今関 最後のシーンはシナリオ案にはなかったんです。もともとは「夜、海辺で月を眺めている少女」というシーンで終わっていました。でも初日の撮影の前日くらいに、ふと思ってあのシーンを足したんです。観る人にちょっと救いを作ろうと感じて…。月夜ではない、太陽の光の中の石井そらを撮っておきたい、という気持ちもあった。自分好みの色合いが出せたのは良かったです。ちょっとパープルを感じる、ピンク、オレンジという色が好きで。高校時代に8ミリをやっている頃からあの光を撮っていて、やっとイメージに近いものが出せたかな、という感じです。人間は面白いもので、やっぱり物語欲が強いじゃないですか。演劇でも小説でも、結局物語を求めている。作り手が物語性を描いていなくても、お客さんはどんなものからも物語を作ろうとするんです。その物語性を刺激したい。きっかけだけは作って、「こうですよ」とは案内しない映画。良い意味での刺激になればと思って最後のシーンを加えました。

── なるほど。それでは最後に今関さんの次回作について聞かせてください。短編ホラー映画と『喜劇 釜石ラーメン物語』を準備中ですね。

今関 ホラーは『ノエル』というタイトルにしていますが、クリスマスを背景にして、一番楽しみにしているクリスマスが一番嫌な日になるという設定があります。しかも、デコレーションケーキではなくて、ビュッシュ・ド・ノエル。「Noel」を分けて「No el」とすると、「神の不在」という意味にもなるので、それにも引っかけています。また、ピアノも好きなのでピアノも出したいと思っています。濃厚な短編ホラーですね。久々に故郷に帰ってきた女の子たちが、自分たちが卒業した今は廃校になった学校に行って、校庭にある木にクリスマスの飾りつけをするんです。そうすると、廃校なのになぜかピアノの音がする…。そこからはじまります。面白そうでしょう? この間、役者も連れて行って、テスト撮影をしました。ホラーの演出は難しいです。何もないのに怖がったり、あざとい演出が要求されるので。ナチュラルじゃないから恥ずかしいじゃないですか。でも、それも含めて楽しい。女の子が恐怖に慄いている顔はやっぱり好きなんですよ。ホラー映画の基本なので。ヒッチコックだってそのために撮っていたんだから。ヒッチコックの映画は全部フェチで、究極のAVみたいな感じですよ。でも、逆にそれが面白いと思いますね。

── 一方、『喜劇 釜石ラーメン物語』は生活感のあるお話ですね。

今関 今、準備していて、準備稿が出来てきたところです。まさに喜劇で、街で中華食堂をしている家族のドタバタ劇です。問題を起こしていなくなったお姉ちゃんが急に帰ってくるところからはじまります。ちょっと『寅さん』のイメージなんです。3・11でお母さんはいなくなっていて、お父さんと妹の二人だけでがんばっていたところへ「なんで戻ってきたの?」と。お姉ちゃんは人気者だけれど、家族からすると困るところもあるという人物。本当は年内に撮る予定でした。でも、コロナ禍に東京人が大挙して行って撮るのは失礼だと思って。ましてや、釜石のために作ろうと思っている映画なので、「ようこそ」と言われたいから、来年の春からスタートすることにしました。3月、4月の桜のきれいな時に。もともと僕は釜石に2014年から行っているんです。最初は違う企画で花巻から釜石まで回っていたりして、その時に釜石に魅力を感じました。『転校生』(大林宣彦監督)の舞台となった尾道的な、坂と山と海に囲まれた映画的な土地なんですよ。当時はまだ復興していなくて、海側には瓦礫もあったし、住民の中にもマイナス面が強くて、まだ復興する力が湧いていない感じだった。7年間通い続けて、いろんな人と友だちになっていく中で、何か映画を作れないかと思うようになりました。そうして思いを巡らせているうちに、ふと、「釜石といえば、いつもロケハンの帰りにあのラーメンを食うなあ」と思って。「結局、あれしかないな。釜石ラーメンで映画を撮ろう」と思ったのが2020年の末です。釜石ラーメンは意外と知られていないし、あれで家族ものが出来そうだな、と。さらに『寅さん』だ! と思いつきました。釜石なら出来そうだと。東京だと「隣は誰が住んでいるの?」という世界観だからやりにくいんですよね。でも釜石はまだ「隣の何々ちゃんに子供が生まれたんだって」と、周りが何でも知っているから、『寅さん』的なムードも成立する街なんですよ。うざいけど楽しい。

── 寅さんみたいな存在を女の子が演じるのも面白いですね。主演は井桁弘恵さん。

今関 彼女は芯があって、知性のある子です。それを自分でコントロールしている感があるし、ある意味、モトちゃんの天然っぽい感じの真逆に近いかな。良い意味でちゃんと戦える子だと思います。モトちゃんはたぶん戦っても生クリームや綿のようにすっと流れる感じがするけど、井桁弘恵はちゃんと戦って、芝居を作り込んで行けそうな気がする。本人は礼儀正しい女の子だけれど、荒い言葉遣いで「なんだよテメエ」みたいな言葉を言うことも出来る。それをがんばっている姿も魅力的ですね。映画はある意味ドキュメンタリーで、演じている人のドキュメンタリーを見ているという面もあるから、女優自身が持つ雰囲気は大事です。今回は脇役もいっぱい出てきて、みんな演技が上手い人たちなので、演技合戦なところもありますけどね。

── 『喜劇 釜石ラーメン物語』はレトロっぽいイメージがありますけれど、設定は昔ではないのですか?

今関 現代でやるつもりです。釜石市内から一駅離れたところに、レトロな良い街並みを見つけて、これだ! と思いました。さびれているんですけど、鉄鋼の全盛期に作られた街だったんです。そのときにすごく栄えたという匂いが残っていて、単純な田舎の街ではない独特の雰囲気に惹かれました。この作品については、「釜石の役に立ちたい」という気持ちがあります。来年から本格的に撮影を進めていきます。

── 短編と長編の2本、今後の今関監督の作品を楽しみにしています。本日はありがとうございました。


プロフィール

今関あきよし(いまぜき・あきよし)
1979年に『ORANGING'79』がぴあフィルムフェスティバルの前身であるOFF THEATER FILM FESTIVALに入選するなど自主映画界で活躍。1983年に『アイコ十六歳』で商業作品デビュー。『グリーン・レクイエム』(1988)、『『すももももも』』(1995)、『タイム・リープ』(1997)などを発表し、近年は『カリーナの林檎 〜チェルノブイリの森〜』(2011)、『クレヴァニ、愛のトンネル』(2014)、『LAIKA-ライカ-』(2016)、『恋恋豆花』(2019)など海外撮影の作品も多い。現在『NOEL』『喜劇 釜石ラーメン物語』を準備中。

貴重なメイキング写真を紹介!


『Memories』のメイキング写真。学校の校舎や屋上での撮影風景。光で生まれる影のシルエットが印象的です。
モトーラ世理奈さん、鈴木聖奈さんと今関監督とのツーショットも素敵!

『Dear Moon』の撮影風景。左の写真が月の光のみで撮影していたときの様子。映画本編と比べるとその暗さに驚きます。
右の写真は今関監督が「自分好みの色合いが出せた」というシーン。


『Memories』『Dear Moon』
2021年11月27日より
下北沢トリウッドにて1週間限定アンコール公開

Memories
ポール・ラザー(Paul Lazar)・モトーラ世理奈・鈴木聖奈・石綿日向子
企画・製作:龍信之助・嶋田豪
監督:今関あきよし
脚本:小林弘利
音楽監督・作曲・アレンジ:ポール・ラザー(Paul Lazar)
2019年/日本/36分 
製作・配給:アイエス・フィールド
(C)2019『Memories』製作委員会

 

Dear Moon
石井そら 祈覆 原田親 長田涼子 村松和輝 久保宏貴 岡村洋一
原案・監督:今関あきよし
脚本:小林弘利
撮影・編集:三本木久城
演出補:いしかわ彰
音楽:「Dear Moon」skymarines and similarobjects/「Ice Calling」VJyou and Rina Kohmoto/「dot」柳ひろみ
イメージイラスト:小半みるく
2020年/日本/40分 製作・配給:アイエス・フィールド
(C)DearMoon2020

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公式Twitter@imazaki_short