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ティーンエイジャーにささぐ、自由への脱走入門 #5 GUESUT 小林エリカさん

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様々なジャンルのアーティストへ長尾謙一郎がインタビューする「ティーンエイジャーにささぐ、自由への脱走入門」。連載5回目となる今回のゲストは、以前から長尾氏と交流のある、作家・マンガ家の小林エリカさんです。イラスト、小説、マンガ、展示など、様々なメディアで表現活動を続ける小林さんは、一貫して「時間」や「歴史」、「放射能」など目に見えないものを作品のテーマとして採り上げてきました。そんな小林さんが今年始めに行った展示「Trinity トリニティ」も、放射能にまつわる歴史を振り返るというもの。その展示にまつわるエピソードから、10歳の小林さんを作家へと突き動かしたアンネ・フランクの存在、小林さんが抱く目に見えないものへの欲求、最近気になる「美」にまつわることまで、長尾氏が盛りだくさんにお話を伺いました。

 


『アンネの日記』を読んで作家を志した少女期
 

長尾 軽井沢で行われていたエリカさんの展示「Trinity トリニティ」(2017年11月-2018年1月)を観て、自己幻想という言葉が頭に浮かびました。僕も物語をつくる時は完全な自己幻想に浸るんだけど、小説や漫画と違って、展示というシチュエーションで自己幻想を目の当たりにする機会はなかなか無いから、すごく満足したんです。

小林 長尾さんは『クリームソーダシティ』(完全版/2017年・太田出版刊)で、自己幻想を突き詰めてらっしゃいましたよね。それが、客観的に描かれているところも面白かったです。作品世界の中にいながら、さらにそれを外側から描くということをやっていた。

長尾 人前に出す時は、そりゃメタっぽく語るけど、やっぱり描いている時は自己幻想にどっぷり浸るよね。このインタビュー企画「ティーンエイジャーにささぐ、自由への脱走入門」は、将来や進路に迷う十代の子たちにとって、ひとつの手引書になるといいなと思って始めたんだけど、最高の自由って自己幻想を表現することなのかな、と思っていて。世の中どんどん狭量になっているし、だからといって締め付けを感じていなかった時代が自由だったかというと、そうでもなくて。でも、いまだに僕らには自己幻想を展開する自由が残されていて、それが許される職業って本当にいいなと思うんです。ところでエリカさんの展示は「放射能」の歴史をふり返りながら、お金についても考えていましたね。

 

展示「Trinity トリニティ」より 
ウランガラスを使った立体作品「ドル / Dollar」
協力:軽井沢ニューアートミュージアム、妖精の森ガラス美術館

 

小林 長尾さんもお金について考えますか?

長尾 アートについて考えると、いやが上にもお金のことは考えますよね。世界の本質ってお金を見ると分かるじゃないですか。だってお札なんて、ただの紙なのに価値がある。無価値なものに価値を与えることが可能である。それがこの世界のコンセプトでしょう。そういう意味ではアートって、まったくもってこの世界のコンセプト通りだよね。絵とお札って、似てる。漫画も紙なんだよね。文章だってそうだけど、そういうものに価値を与えることが世界の、人生の醍醐味ですよ。ただ、若い人たちは自分に価値がないと思っていることが多い。エリカさんは子供の頃から自分には価値があると思っていたでしょう?

小林 私はアンネ・フランクの日記を読んで作家になりたいと思ったんですよ。子供って無力じゃない? 選挙権もないし、自分で稼ぐことも生まれる場所を選ぶこともできない。あまりに無力な存在だけれど、アンネ・フランクは日記を書くことで力を得ることができた。それを知って、たとえ子供であっても無力だと絶望する必要もないし、書くことで力を得ることができるんだ、ということに衝撃を受けたんです。ただ何者でもない、何者にもなれない存在のままでも、決して無力なんかじゃない、と本が肯定してくれたことが自分にとって大きかったんです。翻すと、何も書かなかったとしても、その消えてしまう一瞬一瞬は、決して無価値なんかじゃないんだ、とその時に気づいて。それが10歳の時。『アンネの日記』は13歳で書かれているから、当時は年上のお姉さんすごい、みたいな感じ(笑)。将来どうしようかと悩んでいる子供の頃に、そういう先輩に出会えたことは大きかった。

長尾 アンネ・フランクを先輩って言っちゃうんだね(笑)。

小林 アンネ先輩!(笑) 日記の中で「私の望みは、死んでからもなお生きつづけること! 」(*深町眞理子訳『アンネの日記』引用)と書いてあって、ああそうか、書けば「死なない」んだって知ったんです。アンネは、作家かジャーナリストになりたいと書いていたので、私も作家になりたい! と思いました。たぶん、自分に価値がないと思わされることに苛立たしい気持ちだったんだと思う。


 

13歳から15歳のアンネの日記、16歳から17歳の父の日記を手にして

 

長尾 アンネ・フランクは、放射能と並んで、エリカさんにとって重要なモチーフの一つだと思うんですけど、いつ頃からですか?

小林 実は作家になりたいという気持ちだけが残って、『アンネの日記』に夢中だったことは、ずっと忘れていたんですよ。それで作家になってしばらくしてから、父の80歳の誕生日に、たまたま父が16歳から17歳の時につけていた日記を見つけたんです。1945年と46年の、第二次世界大戦中から敗戦直後までの日記。「又一日命が延びた。」と書いてある一方で「挽茶を飲んだ。」とか「肉は砂糖入りでとてもうまかった。」とも書いてあって、父は戦争中、空襲があるのにずっと勉強しているんです。それで希望していた旧制高校に入学するんだけど、学徒動員で飛行機工場に行き、そこで敗戦を迎える。その時のことが全部、克明に日記に書いてあるんです。父は敗戦後にすごくリベラルになった人だから、戦争なんか、はなから嫌だと思っていたんだけど、日記を読むと敗戦の日にものすごいショックを受けていて、玉音放送を聞きながら「音が聞こえなくなると同時に気が遠くなる様な気がして思はずフラフラと二三歩よろめいた。」「講和は真実だ! 真だ! 嗚呼泣いても泣き切れない。死ぬにも死ねない。」と書いてあるんです。それがすごく衝撃で。目の前にいる80歳の父親と、16歳という自分より年下だった父親が何を考えていたか、それまでは想像もしなかったし、父親という存在は常に年上で、泣いたり悩んだりしないものだと思っていたから。その時、私は初めて父がアンネ・フランクと同じ、1929年生まれだということに気づいて。アンネ・フランクは13歳から15歳、父は16歳から17歳、その二冊の日記を持って、アンネが亡くなった所から生まれた所までの足取りを遡るように旅をして、『親愛なるキティーたちへ』(2011年・リトルモア刊)という作品を書きました。それが自分にとって大きかった。まずアンネ・フランクという少女だと思っていた人が、生きていたら父と同じ80歳で、おばあさんになったアンネの作品を読めたかもしれないのに、ということ。アンネが殺されてしまったことで、その可能性が失われてしまったということ。もうひとつは、私はこれまでずっと一緒に暮らしてきて、父のことを何でも知っているつもりだったのに、実のところ何も知らないということに初めて気づいて。それらを見たい、知りたいと思うことって何だろう、知るためにはどうしたらいいんだろう、とすごく考えた。

 

『親愛なるキティーたちへ』(2011年・リトルモア刊)
 

『クリームソーダシティ』(完全版/2017年・太田出版刊)

 

長尾 ナチス・ドイツと同盟国である日本に住むお父さんと、ユダヤ人であるアンネ・フランク。

小林 そうなんです。歴史的に見れば、つまり私の大好きな父親は、私の尊敬するアンネ・フランクを、殺した側の存在でもある、ということも自分の中では大きかった。

長尾 二人の日記を読んでいて、何かシンクロするところはあった? 

小林 アンネが亡くなった3月から4月にかけて旅をしたんですけれど、今も、かつてと同じようにスイセンや桜が咲いていたりして、同じ季節が繰り返されているということを実感しました。戦争と聞くと24時間爆撃みたいなイメージがあったけど、当たり前にその中でごはん食べる時間、寝る時間、勉強する時間があって、季節が巡ってくればたとえ戦争中だってスイセンも桜の花も咲いている。戦争の最中にも日常は当たり前に続いているんだ、ということを私はそれまで、あまり想像できていなかったんだ、と思いました。心の底では私は、戦争をするのは、どこか自分とは全然違う人たち、例えば勉強もしない、ごはんもない、貧しい人たち、のように考えていたんだと思います。でも、その人たちだってみんながみんな、最初から勉強しなかったわけでも、ごはんがなかったわけでも、貧しかったわでもない。そんな私と少しも変わらない人たちが、戦争をしていたんだ、って考えた瞬間、戦争が本気で恐ろしいものになりました。

 


目に見えないものを紙に留めたい

 

長尾 エリカさんの創作の仕方って、面白いよね。世界というものを、歴史も含めて、全部一つのミステリーとして捉えて、シャーロック・ホームズのように解いていこうとしている。なかなか解けない謎だよね。しかもエリカさんのお父さんって、シャーロック・ホームズの研究家だったんでしょう? そこがまた面白い。

小林 母もですから両親で研究家です。でも、私、実は別に、戦争や歴史、社会的にすごく興味があるってわけでもないんです。私が興味あるのは、私が今この世界の、この場所の、この瞬間に、こうして生きている、というのはどういうことなのか、ってことだけです。それを知りたいと思うと、必然的に、戦争や歴史のことに辿り着いてしまう、という感じなんです。あと、私は目に見えないものにすごく興味があって、目に見えないものを見たい、目に見えないものを紙の上に留めたい、という気持ちが強いのかも。

長尾 エリカさんは詩人だと思う。

小林 私はかつて読まれたかもしれない詩のことを知りたいのかも。声は消えちゃうじゃないですか。けれど、それが口伝えで伝わったり、書き留められて残ったりする。そこで消えてなくなってしまったものまで私は聞きたいと思うし、記録したいし、紙に留めたい、と思ってしまう。だから、象形文字とか、それこそ壁画でもいいけれど、人間が何かを残したいという気持ちにも興味があります。

長尾 墓を建てるのもそうでしょう? 人間の本質的な欲求として「残したい」という気持ちはあるんでしょうね。

小林 そうすると子孫を残す、みたいになりがちだけど、例えば残すのは子供じゃなくてもいいと思っていて。目に見えない形のものであっても、何かしら残せるんじゃないかと思っているんです。

長尾 僕はずっと、残すとか、そんなのどうだっていいと思っていたんですよ。今も漫画は描いているけど、昔は自分の描いた漫画は読んだら一瞬で捨ててほしいって願望があった。反抗的な感じだったんでしょうね。ただ、最近はコミュニケーションツールというか、何百年後かの人々と漫画で対峙できたら面白いな、と思ったりもするようになった。でもエリカさんは最初から「残したい」と思ってたんだね?

小林 消えちゃう瞬間も含めて、それでも何かが残るかもしれないという可能性に興味があるんです。別に、小説や漫画や作品だとか子供を残すことだけが重要ってわけじゃなくて、人生のうちのただ消えてゆく一瞬一瞬だってやっぱり同じくらい重要じゃないですか。その一瞬一瞬を、どうやったら残せるんだろうって、ずっと考えていて。歴史書には有名人しか残らないし、偉大とされるものしか記されてこなかったけど、そこには他の人から見たらどうでもいいと言われちゃいそうな、けれど本人にとってはすごく大事だった瞬間はあるはずで。そんな誰かの一瞬一瞬を、想像することならできるかもしれない、と思い至ったんです。それをどうやったら小説や漫画、展示にできるのか、というのが昨今考えていること。

 

 

本に救われた小学生時代とキリスト教的宗教観




長尾 10歳で何かを残したいって、普通はあまり考えないと思うんだけど、どうしてエリカさんは、そう思ったんだろう?

小林 死ぬのが怖かったんじゃないかな。それは大人になって感じるシビアな死のリアリティとは違うんですけど、「消えたり忘れられるのは怖い」と思っていました。

長尾 10歳ということは小学校5年生? どんな子供だったんですか?

小林 練馬の家から高円寺の私立小学校にバスで通っていたから、通学に一時間半かかったんです。歩かないから強制的に暇になるじゃないですか。それで、ずっと本を読んだり考え事をしたりしていました。

長尾 どんな学校だったの?

小林 カトリックの女子小学校でした。

長尾 エリカさんのご家庭はキリスト教を信仰していたんですか?

小林 母がのちにキリスト教徒になったのですが、当時は父も母も無宗教でした。

長尾 リベラルは無宗教の人が多いよね。カトリックの小学校はエリカさんにとって、どうでしたか?

小林 カトリックが、というよりは、私は自分が子供であることがすごく好きじゃなかった。それこそ、無力というか、自分で決められることが極端に少ないのが嫌で仕方なかった。選挙権もお金もないし、住む家だって、出かける場所だって、食べるものだって、自分で決められない。それが私の性格に合っていなかったのかも。でも本を読むことで、世界は広いんだ、と知ることができたのは大きかった。だから私にとって、本は娯楽じゃなくて、もっと切実なものだったんです。それで作家になりたいと思ったのかな。だから大人になって、すごく嬉しかったし、安心したんです。

長尾 カトリックの学校で本と言えば聖書だよね。本に対する想いの強さと、こじつけかもしれないけど、聖書という、本がベースにあるカトリックの学校教育というのは何か関係があるんじゃないかな?

小林 でも、仏教にも経典とかありますよね?

長尾 いや、聖書って別な気がする。漫画の根源にあるものは鳥獣戯画ってよく言うんだけど、実は聖書なんじゃないかと思う。漫画だけに限らず「本」の元型は聖書のような気がするなあ。ちなみに僕もキリスト教の高校だったんだけどね。

小林 子供時代とか学校教育で刷り込まれる宗教観って絶大な力があるよね。

長尾 聖書の時間なんて適当にしか聞いてなかったのに、自分の中に入ってるんだよね、聖書が。実は大学に行く時に牧師の勉強をしようという選択肢もあった(笑)。

小林 牧師さんになろうとしてたんですか??(驚)

長尾 ある日、なんとなく魅力を感じて、先生に神学部に行きたい旨を伝えたんです。自分的には何日も考えて出た答えだったんだけど、先生に「お前が? またふざけてるのか? ちょっと違うんじゃないのか?」って訝られて、結局、牧師の息子に指定推薦枠を譲らされたんだけどね。実は『クリームソーダシティ』にも若干、聖書のイメージはある。ある意味、聖書研究は自分にあっていた気がする。でも、漫画家で正解だったかな。

小林 長尾さんは牧師さんになっていた可能性があったんですね……それは衝撃の事実! 私も洗礼は受けなかったけど、子供の頃にシスターから習ったキリスト教的世界観が、反発も含めて絶大に刷り込まれています。家では無宗教で、おばあちゃんは仏教で、学校ではキリスト教で、すごく複雑な宗教性が混然一体となって、自分を形づくっている気がしなくもない。


 

「これはエリカさんの地球宣言だ!」


展示「Trinity トリニティ」より
ジョン・ダンの詩を描いた「私の心を叩き割ってください、三位一体の神よ / BATTER my heart, three-persone'd God; for you」

 

小林 軽井沢の展示タイトルに使った「トリニティ」という言葉も、本来キリスト教の三位一体を表すものだけど、実は原子力実験が行われた場所(*アメリカ合衆国ニューメキシコ州のホワイトサンズ・ミサイル実験場の中にある)もトリニティと言うんですよ。だからキリスト教のキーワードが、原爆開発の歴史で言及されることは多い。

長尾 僕は展示の最後にでてくる詩がジョン・ダンのものだとは知らなくて、エリカさんが書いた詩だと思ってた。

小林 それが書けたらシェイクスピアもびっくりの才能ですよ!(笑)

長尾 あの詩を読んで、「これはエリカさんの地球宣言だ!」と思ったんですよね。「私は地球なんだ」と謳ったんだろうなと。

小林 それは壮大! 長尾さんの幻想力はすごいですね。

長尾 ずっと放射能の歴史について展示してきて、最後に「この罪深き罪の意識をもった人類を砕いてくれ」と。これは私を叩き割ってくださいということで、もう、エリカさんは地球だなって。俺は本当に打ちのめされる思いだった(笑)。

小林 そういう解釈をする長尾さんがすごい。そんなふうに見てもらえるなんて、長尾さん天才だわ。地球宣言なんて思いもよらなかった。

長尾 そういうふうに見えますよ。人類史、地球、ミステリー。なんとも言えない謎なんですよ、エリカさんの追っているものって。ミュージシャンのアルバムジャケットでさ、プリンスが地球をじーっと見ているのとか、山下達郎さんが地球を小脇に抱えた写真とかあるじゃん。あの段階なんだと思いました(笑)。あれって、アーティストとして絶好調ってことなんですよ。「俺、地球!」っていう。

小林 私、宮沢賢治の絵を見たことがあるんですよ。岩手の花巻から一直線に宇宙を描いている絵。その絵を見た時に、ああ、日本も世界も飛ばして、この人は宇宙一直線なんだ、ってすごく感動して。でも創作って、そういうところを目指したいですよね。日常から一気に宇宙へ行ける何かを知りたい。

長尾 醍醐味ですよね。

小林 本当は当たり前のことなんだけど。

長尾 なんで当たり前って言えるの?

小林 だって人体は宇宙の屑でできているでしょう? 地球も宇宙の一部だし。そういう当たり前のことを普段は忘れて暮らしているけれど、そこにもう一回気づくためにはどうしたらいいのかな、って考えます。

長尾 いや、本当に俺の中のエリカさんのイメージはエースですよ。展示を観ても、改めて、「やっぱりエースだーっ!」って思ったね。背番号18です!

小林 そんなそんな(笑)。

長尾 エリカさんって、時間をどんどん飛ばしていくんですよ。これって、なかなかできることじゃないんです。こっちは漫画家だからコマは時間が進行する方向に描いていくんだけど、アーティストとして成熟してくると、時間軸を超越しはじめる。トマス・ピンチョン現象。

小林 でも、私は自分をアーティストだと思ったことがあまりなくて。時間は目に見えないから不思議だなって思うけど。

 

 

アナログ/デジタルと展示


展示「Trinity トリニティ」より




長尾 そもそも、僕が最初に知ったのはイラストレーターとしてのエリカさんなんだよね。

小林 絵はずっと好きだったかも。最初はアニメーションをつくっていました。原子爆弾の女の子をモチーフにしたアニメーション。大学生の時に水戸短編映像祭で水戸市長賞をいただいたのがデビューだったのかも。

長尾 アニメはセル画でつくってたの?

小林 いえ、PCで。99年くらいだったと思います。たぶん、iMacが出たばかりの頃。

長尾 早いですね。

小林 PCが大好きだったんです。でも今は時代の流れに逆行して、全部手描きに戻したんですけど。Gペンに和紙。すごく解放された感覚で描けて楽になった。

長尾 ペン先が紙に引っ掛かるでしょう?

小林 その引っ掛かってできたシミがいいなあと思って。

長尾 俺は、前はインクの滲みが好きだったけど、なぜだか最近は自分の絵の滲みをあまり見たくなくなってしまった。個人的な気分だと、今はフルデジタルかな。でも、今はアナログとデジタルの過渡期だから、まだデジタル画だと思われたくない。それに展示なら本当は生の原稿を見たいですしね。漫画って展示というメディアに合わないから、エリカさんが物語を展示していたのは、すごくいい提案だなと思いました。

小林 物語を展示していると思ってもらえて嬉しいです。

長尾 だから見ごたえがあったんでしょうね。40点くらいありました?

小林 そうですね。写真をベースにして、その上にドローイングやコラージュ、金箔などを使って。あとは文字、映像作品と、ウランガラスを使った初めての立体作品もつくりました。最近は鏡を使った作品も多くつくっています。風景や自分自身が映り込むのも面白いんですよね。

長尾 プリンティングもドローイングも一緒に展示されているから異質に見える可能性もあるんだけど、全然違和感がなかった。ああいう何層にもなった展示の見せ方でドローイングがあると、直接的な価値を感じます。

 

展示「Trinity トリニティ」より
「日出ずる / Sunrise   娘たち / Daughters」photo by Gopha

展示「Trinity トリニティ」より
「庭 / The Garden アンリ・ベクレル / Henri Becquerel Jardin des Plantes, Paris」



小林 マネーの歴史をモチーフにした展示だからですかね(笑)。

長尾 とにかく見ごたえがあった!

小林 ありがとうございます。ドローイングは家族の肖像画で、祖母、母、姉たち、自分と娘の子供時代を描いて並べているんです。歴史って教科書で読んで、この時代は誰が天皇で、こういう戦争があったとか言われても、私はあまりピンとこなくて。でも祖母が何歳の時にはこんなことがあった、というふうに身近な人の過去と繋げて考えてみると、捉え方が変わる。実は100年前っていうのもそんなに昔じゃない。それが自分にとって大きな発見でした。

長尾 エリカさんのドローイングは魅力的なんですよね。オリジナリティが半端ない!

小林 嬉しいです。

 


自己幻想と、表裏一体の美と恐怖

 

長尾 自己幻想を体現している芸術家って、なかなかいないと思うんだけど、今パッと思い浮かんだのが三島由紀夫。年末、一緒に切腹する夢を見て、興味を持ってしまった(笑)。調べれば調べるほど気になってきちゃった。それまでは、ただの変わり者くらいにしか思ってなかったんだけど。

小林 その思想やボディビルディングとかも含めて、惹かれるところがあるってこと? 

長尾 それは無いです。というか、三島って客観的に見れば右翼かもしれないけど、でも、そうじゃないんだよね。本人も右翼ではないと明言しています。俺から見ると、最期まで完璧に自己幻想を体現した人。説明しづらいけど、晩年は唯識をよくモチーフにしていたようで……。

小林 完璧な美。美についても最近興味があります。マリ・キュリーは、放射性物質のラジウムを発見した時に「妖精の光」と呼んで枕元に置いて寝ていたそうなんですよ。ラジウムは青白く発光して美しいから。消えない光を求める気持ちは、キリスト教的でもあるんだけど、危険だとか死ぬと分かっていても抗い難く、美しいものに惹かれてしまう人間の気持ちに興味がある。

長尾 放射能って、この社会的、市民的にはヒールじゃないですか。でも、エリカさんはずっと放射能の守護神みたいにやってきて、糾弾されないのかなって心配になる。

小林 でも私は全然、放射能を良いものだとは思っていないです。良い悪い、という一面的な価値観で捉えても意味がないから。そうではなくて、もっと多面的に捉えてみたいという気持ちがある。その美しさに惹かれてしまう気持ちも、その恐ろしさも、その歴史も、金のことまで踏まえて「じゃあ、あなたはどう思う?」と、それぞれが考えていかないと何も解決しない。放射能って、たった100年ちょっと前に発見されたばかりなんです。けれど、それを今後、数百年、数千年、数万年レベルで考えなきゃいけない。そんな問題を、今の価値観や感情だけで結論づけるのは違うと思う。価値は変動していくものだし、例えば100年後に今を振り返った時に、今の善悪の価値観が簡単に覆される可能性だってある。そこを判定できるのは未来の人でしかないと思うんです。

長尾 この社会で、エリカさんみたいに生きられる人は、なかなかいないと思う。すごい。

小林 善悪って、この一瞬で裁けるものじゃないと思うので。特に放射能に関しては未来からしか分からないという気持ちがあるんです。チェルノブイリについて書いている作家のスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチも似たようなことを書いていて、私はすごく共感したし、過去の歴史を振り返るにしたがって、より強く思うようになりました。

長尾 エリカさんは3.11の時も変わらない態度で放射能と向き合っていたんだよね。ヒヤヒヤするよね、こっちは。でも誰もおかしいとは言わない。それは芸術として理屈が通っていたからでしょうね。

小林 でも芸術とも思っていないんです。私は100年前を考えずに100年後を考えることはできないと思っているだけ。それは芸術でもなんでもなくて、ただ歴史を見るのとも違う、ただ、「こういうがあった」ということを知りたいと自分自身が思っている。それに尽きる。

長尾 なかなか、こういう会話ってできないよね。エリカさんがここにいてくれて嬉しい。

小林 こちらこそ、長尾さんがここにいてくれて嬉しいです。
 

 


プロフィール

小林エリカ/1978年東京生まれ。作家・マンガ家。2014年小説『マダム・キュリーと朝食を』(集英社)で第27回三島由紀夫賞候補、第151回芥川龍之介賞候補。そのほか、著書には“放射能”の科学史を巡るコミック『光の子ども』1、2(リトルモア)や、作品集『忘れられないの』(青土社)、ノンフィクション『親愛なるキティーたちへ』(リトルモア)、短編集『彼女は鏡の中を覗き込む』(集英社)などがある。現在Little More WEBにて『光の子ども』、 MiLK JAPON WEBにて「おこさま人生相談室」を連載中。 http://erikakobayashi.com/


長尾謙一郎(ながお・けんいちろう)/1972年愛知県生まれ。アーティスト。漫画を中心に映像、ペインティング、アートディレクション、アニメーション、テキスト、音楽など活動は多岐にわたる。主な代表作『クリームソーダシティ』『PUNK』『ギャラクシー銀座』『おしゃれ手帖』、MV「放課後シンパシー」(テンテンコ)「ティティウー」(荒川ケンタウロス)など。最近では映画『山田孝之3D』のアートディレクター、絵本『とんすけくんはももたろう』(小学館)を発表。